鎌倉大仏は鎌倉時代を代表する仏教彫刻

2016年5月3日 撮影
鎌倉大仏
鎌倉大仏長谷 (はせ) の大仏)は、浄土真宗の寺院、高徳院 (こうとくいん) (神奈川県鎌倉市長谷4-2-28)にある大きな阿弥陀如来像である。鎌倉のシンボルとして親しまれている。
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鎌倉大仏
大仏建立に関しては不明点も多いが、、建長4年(1252年)から建造されたものが現存する鎌倉大仏と考えられている。
建立当初は大仏殿に安置されていたが、応安2年(1369年)に倒壊して以来、再建されていない。
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鎌倉大仏
高さは11.3メートル(台座を含めると13.3メートル)、重量は121トンある。東大寺の大仏(高さ14.9メートル、重量250トン)に比べると一回り小さい。

組まれた足の上に両手を組み合わせており、上品上生印 (じょうぼんじょうしょういん) 、またの名を弥陀定印といい、最高の悟りの状態であることを表わしている。これが阿弥陀如来の印相 (いんそう) となる。

平安時代の浄土信仰で見られる1枚の布で両方の肩を覆う着方をしている点は、鎌倉時代の仏像としては珍しい。
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鎌倉大仏
吾妻鏡 (あづまかがみ) 』によると、東大寺の大仏を見て感動した源頼朝が建立に関わったとされているが、幕府の文献にもあらわれていない。
造営資金は、僧・浄光らが諸国を旅して浄財を集めたとされている。最初は木造で、後に東大寺の大仏と同じ方法で鋳込んでいったと考えられている。原型の作者も不明である。

歴史的には不明なことが多く、教科書にも取り上げられることがない。
だが、東大寺の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を保っており、鎌倉時代を代表する仏教彫刻として、1958年(昭和33年)2月、国宝に指定された。
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鎌倉大仏
東大寺の大仏に比べると頭部が大きい

仏には、三十二相と呼ばれると人間離れした身体的な特徴がある。
そのひとつとされる紺青色の半眼は「真青眼相 (しんしょうげんそう) 」と呼ばれ、すべての物事を見通す。鎌倉大仏では瞳が表現されている。
眉間には右巻きの白毛のかたまりがあり、人々を照らす光を放っている。白毫 (びゃくごう) または白毛相 (びゃくもうそう) と呼ぶ。

穏やかに結ばれた口元は、小泉八雲に「東洋的微笑」と賞賛された。
福耳は肩に達するほどの大きさだ。
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鎌倉大仏
背後から見ると、猫背であることがわかる。

材質は銅造とされるが、青銅(銅、錫、鉛等の合金)製で、鉛の含有用が20%と多い。これは、宋から輸入された中国銭の成分に近い。
鉛の比率が高いことから、像表面に金メッキを行うことは困難で、代わりに金箔を貼っていたと推定されている。頬のあたりに金箔の名残が見られる。
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鎌倉大仏
像内は空洞で、20円を払って入ることができる。胎内は狭く、一度に30人しか入ることができない。

内壁に見られる大きな格子模様から、大仏像が約40回に分けて鋳上げられた様子がわかる。

窪んだ部分が大仏の頭部にあたる。
関東大震災で50cmほど前に滑り出してしまったが、1961年(昭和36年)に繊維強化プラスチックによって補強された。
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鎌倉大仏
鎌倉大仏のそばには、巨大なわらじが奉納されている。大仏の足の大きさに合わせ、2メートルもある。
このわらじは、いつも座りっぱなしの大仏様に、わらじをはいて散歩にでかけてくださいと、茨城の子供会が奉納したものだ。
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交通アクセス

【鉄道】
  • 江ノ電「長谷駅」より徒歩約7分
【バス】
  • 鎌倉駅東口バス乗り場1番から江ノ島電鉄バス、もしくはバス乗り場6番から京浜急行バスに乗り、「大仏前」停留所(鎌倉駅から約10分程度)で下車すぐ
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(この項おわり)
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