
石巻市震災遺構 大川小学校

石巻市震災遺構 大川小学校
石巻市立大川小学校(宮城県石巻市釜谷字韮島94番地)は、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災により発生した高さ8.6メートルの津波にのみ込まれ、児童74名、教職員10名が犠牲となった。大川小学校は、大川地区(391世帯、人口1,344人)の避難所であったが、地区全体で418名が犠牲となってしまった。
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石巻市震災遺構 大川小学校
2016年(平成28年)3月、石巻市は被災した大川小学校の全体を震災遺構として保存することを決定。芝生広場、花壇、慰霊碑などを整備・設置し、2021年(令和3年)7月18日から公開が始まった。遺構の中に立ち入ることはできないが、見学は年中無休・無料。入口に献花台がある。

石巻市震災遺構 大川小学校
大川小学校は2018年(平成30年)に閉校し、その記念碑が建立された。東日本大震災発生後の仮設校舎を置いていた石巻市立二俣小学校へ統合されている。

石巻市震災遺構 大川小学校
緯度・経度・海抜が刻まれた石碑が倒れている。大川小学校は海岸から約4km離れているが、海抜は1.1メートル。
14時46分に本震が起きた。この日、校長は有休で不在だった。児童たちは机の下に隠れた。校舎は窓ガラスが割れ、倒壊の恐れがあったことから、教職員は児童を校庭に集めて点呼をとった。
14時46分に本震が起きた。この日、校長は有休で不在だった。児童たちは机の下に隠れた。校舎は窓ガラスが割れ、倒壊の恐れがあったことから、教職員は児童を校庭に集めて点呼をとった。

石巻市震災遺構 大川小学校
全員の安否を確認すると、避難先の検討が始まった。だが、子どもたちを迎えに保護者たちが集まりはじめ、一方で、避難場所に指定されている大川小学校を目指して避難してきた住民もいた。

裏山
裏山は標高75メートルあり、遊びで登った児童も多かったが、私有地であること、残雪があり地滑りの恐れがあること、避難してきた高齢者を連れて登るのは難しいことなどから見送られた。裏山に登ろうとした児童は呼び戻された。

新北上川
そうこうしているうちに、防災無線が津波の危険があり海岸線や河川には近づかないよう伝えた。市役所の車が、近くを流れる新北上川(追波川)を遡上してくる津波を確認している。

石巻市震災遺構 大川小学校
航空写真で俯瞰すると危険な場所であることは自明だが、実際に校庭に立ってみると、堤防の向こうは見えないし、三方を森や山に囲まれているため、直前まで津波は見えなかっただろう。大川地区は、明治三陸沖地震やチリ地震津波でも被災していないという。

石巻市震災遺構 大川小学校
教職員と住民の侃々諤々の議論の結果、防災無線の警告にもかかわらず、国道398号新北上大橋のたもとにある三角地帯へ徒歩で逃げることになった。

止まった時計
児童や住民たちが剣道に出たところで背後から津波に襲われた。15時35分過ぎで止まった学校の時計が大川震災伝承館に展示されている。本震発生から1時間50分も経過していたが、学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては第二次世界大戦後で最悪の惨事となった。

大川震災伝承館
大川小学校に隣接し、震災前は公民館だった場所に大川震災伝承館が整備されており、当時の資料などが展示されている。
ここまでの記事は、伝承館のガイドさんから聞いた話を中心に整理した。
ここまでの記事は、伝承館のガイドさんから聞いた話を中心に整理した。
大川小学校の児童23人の遺族が、石巻市と宮城県に損害賠償を求めた訴訟で、2019年(令和元年)10月に最高裁は市と県の上告を退ける決定をくだした。震災前の学校の防災体制に不備があったとして、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた二審・仙台高裁判決が確定した。
津波の際、自動車による避難は原則禁止とされているが、大川小学校では保護者が校庭にいる児童を迎えに来て車で逃げて助かった家族がいる。一方で、学校にはスクールバスも運転手もいたのだが、指示がなく動くことはなかった。
私たちが暮らしている地域のハザードマップは信頼できるか、自動車を使った避難は是か非か‥‥考えさせられることが多い旅となった。
津波の際、自動車による避難は原則禁止とされているが、大川小学校では保護者が校庭にいる児童を迎えに来て車で逃げて助かった家族がいる。一方で、学校にはスクールバスも運転手もいたのだが、指示がなく動くことはなかった。
私たちが暮らしている地域のハザードマップは信頼できるか、自動車を使った避難は是か非か‥‥考えさせられることが多い旅となった。
交通アクセス
【鉄道+タクシー】
- JR石巻駅からタクシーまたはレンタカーで約45分
- JR鹿又駅からタクシーで約25分
- 三陸縦貫自動車道「河北I」Cから約20分
参考サイト
- 石巻市震災遺構 大川小学校
- 奇跡の一本松と道の駅「高田松原」:ぱふぅ家のホームページ
- 気仙沼駅と東日本大震災の記憶:ぱふぅ家のホームページ
- 陸前高田駅は東日本大震災で流出:ぱふぅ家のホームページ
- 九段会館は二・二六事件の時に戒厳司令部が置かれた:ぱふぅ家のホームページ
- 常磐線不通区間の富岡駅から浪江駅へ(2020年3月運転再開):ぱふぅ家のホームページ
- 『呼び覚まされる霊性の震災学』(東北学院大学/金菱清,2016年01月)
近隣の情報
- 命と防災を考える花「あいりちゃん」満開に(2021年6月5日)
- 復興祈るこいのぼり、コロナ収束の願いも(2020年5月8日)
- 登米の旧商家、学生提案で魅力発信(2018年8月29日)
- 青空に舞う「友情こいのぼり」(2018年5月15日)
- 奇声上げ防火を祈願 登米「米川の水かぶり」(2018年2月10日)
- 慶応遣欧使節の船出に復興重ねる(2018年1月18日)
- 青森ねぶた、笑顔の出前 東松島・あおい地区で夏祭り(2017年8月27日)
(この項おわり)