猿橋は日本三奇矯の一つ

2018年11月7日 撮影
猿橋
猿橋 (さるはし) (山梨県大月市猿橋町猿橋)は、桂川に架かる橋で、日本三奇矯の一つ。紅葉の名所でもある。
猿橋の大きな写真大きな写真
(2560×1707 ピクセル, 3065 Kbyte)
猿橋
大月駅側(南側)には、「名勝猿橋」のアーチがある。1932年(昭和7年)3月25日、国の名勝に指定された。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1367 Kbyte)
猿橋
裏側には「日本三奇矯」と記されている。
三奇矯は、他に、錦帯橋 (きんたいきょう) (山口県)、木曽の棧 (きそのかけはし) (長野県)が並ぶ。木曽の棧の代わりに、祖谷のかずら橋を入れる説もある。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1010 Kbyte)
猿橋
現在の橋は、1851年(嘉永4年)の設計図に基づいて架け替えられたもので、1984年(昭和59年)に完成した。総工費3億8300万円。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1249 Kbyte)
猿橋
橋の長さは30.9メートル、幅は3.3メートル、水面からの高さは30メートルある。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1389 Kbyte)
猿橋
橋脚を使わず、両岸から張り出した4層のはね木によって支えられているところがユニークである。屋根によってはね木が腐るのを防いでいる。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1724 Kbyte)
猿橋
交通の要衝で、1524年(大永4年)、武田信虎と上杉兼房の合戦の場となった。

江戸時代に入り五街道が整備されると、甲州街道の要衝として、幕府直轄工事により9回の掛け替えと、十数回に及ぶ修理が行われた。荻生徂徠、葛飾北斎、歌川広重など、あまたの文人墨客が訪れ、今日に作品を残している。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1839 Kbyte)
猿橋
2014年(平成26年)11月、大月市民の有志や市内の中学校美術部の生徒が作成した「切り絵行灯」が設置された。

写真は、桃太郎伝説が残るまち大月市の郷土料理「おつけだんご」と、ゆるキャラ「おつたろう」の切り絵行灯。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1379×1920 ピクセル, 1015 Kbyte)
猿橋
1880年(明治13年)、明治天皇が山梨県巡行を行った際、6月18日に猿橋を渡っている。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1272 Kbyte)
猿橋
11月にかけて、モミジ、ケヤキ、イチョウが見頃を迎える。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1354 Kbyte)
猿橋
後述する新猿橋から桂川を見下ろしたところ。ヤヴァい高さである😱
猿橋の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 2866 Kbyte)
猿橋
猿橋の袂に「展望台」という看板が出ている。展望台なのに、なぜ下る?
階段になっているが、足下が滑るので要注意。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1748 Kbyte)
猿橋
展望台に到着。見上げると、ちょうど猿橋が茂みに隠れてしまっている。後方に見えるのは、後述する水道橋だ。

このあたりの岩石は、桂川によって削られた基盤岩の上に、6千~1万年前の富士山の噴火によって流れてきた溶岩が冷えて固まった玄武岩が載っている格好になっている。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1810 Kbyte)
猿橋
桂川は、山中湖を水源とする相模川の別名で、神奈川県に入ると相模川と呼ばれるようになる。
写真のように、猿橋の手前で大きく蛇行している。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1223 Kbyte)
新猿橋
1934年(昭和9年)、猿橋の西側に新猿橋が架けられた。甲州街道(国道20号線)は新猿橋を通るようになり、交通路としての猿橋の役目は終わった。
新猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1504 Kbyte)
猿橋
新猿橋の欄干は、猿橋の由来を表したレリーフとなっている。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 1024 Kbyte)
猿橋
猿橋の東側には猿橋水路橋がある。鉄筋コンクリート橋の黎明期、1912年(明治45年)に竣工した。

ここで桂川の水を取り入れ、上野原市の大野調整池を経て、14km離れた八ツ沢発電所まで水を送っている。落差は116メートル、水量は最大で毎秒41.74m3。最大発電容量は4万2千kW。1914年(大正3年)に完成した最初期の水力発電施設である。現在は東京電力の所有施設となっている。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 3050 Kbyte)
猿橋
上から見下ろすと、水流が意外に早いのがよく分かる。

全長14kmに及ぶ発電施設は、複数の構造物に高度な建設技術が発揮されており、土木技術史上、高い価値があるとして、2005年(平成17年)に国の重要文化財に指定された。わが国の重要文化財のなかで最大規模を誇る。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 3480 Kbyte)
猿橋
猿橋の南側にある大黒屋は、自家製麺の蕎麦・うどん・ほうとうが自慢のメニュー。国定忠治の定宿で、1906年(明治39年)には渋沢元治と小平浪平が宿泊し、日立製作所の創業の打ち合わせがあったという。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1920×1440 ピクセル, 1247 Kbyte)
猿橋
大黒屋の東にある駐車場の、さらに奥まったところに、イケメンの猿の石像があり、猿橋の由来が記された石碑があった。

それによると、いまから700年あまり昔、北条氏に追われていた日蓮聖人が、この地で追い詰められたとき、どこからどもなく金色の毛の大ザルをリーダーとする数百の白猿が集まり、橋となった日蓮を渡したという。帝釈天の命令を受けた部下の猿たちが日蓮を救ったと言われている。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1280×1920 ピクセル, 1085 Kbyte)
猿橋
猿の石像の近くには、大月市が建立した三猿塔がある。
こちらの由来では、奈良時代、小猿たちが、たがいに手足を繋いで向こう岸へ懸け橋のようになり、そのうえを老猿が行き来したとされている。これにヒントを得た百済の渡来人で造園師である志耆麻呂 (しきまろ) が猿橋を架けたという。

いずれにしても、猿橋の由来はよく分かっていない。交通の要衝であることから、古代から橋が架かっていたようではあるが。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1230×1920 ピクセル, 1382 Kbyte)
猿橋
大黒屋の前には山王宮という小さなお社があり、その年に生まれた子供を祝うお祭りとして、毎年夏まつりが行われ、台座に積み上げた座布団にご神体の猿が鎮座する御神輿を担ぐ習わしがある。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1440×1920 ピクセル, 1682 Kbyte)
猿橋
三猿塔の近くにはお稲荷様がある。
猿橋の大きな写真大きな写真
(1810×1920 ピクセル, 1874 Kbyte)
猿橋
猿橋水路橋の東側には、現在の国道20号線が通る新猿橋(新々猿橋)がある。
猿橋と猿橋水路橋と望むビューポイントは、歩道が少しせり出している。トラックが通ると、かなり揺れる😱
猿橋の大きな写真大きな写真
(1707×2560 ピクセル, 2973 Kbyte)

交通アクセス

【鉄道】
  • JR猿橋駅から徒歩20分
【バス】
  • 中央高速バス「中央道猿橋」停留所から徒歩15分
【自動車】
  • 中央自動車道「大月I.C.」から約15分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:猿橋
猿橋 関連

参考サイト

近隣の情報

日本三奇橋

  1. 猿橋(山梨県甲府市)
  2. 錦帯橋(山口県岩国市)
  3. 祖谷のかずら橋(徳島県三好市)
(この項おわり)
header