
拝殿
阿蘇神社(熊本県阿蘇市一の宮町宮地3083-1)は、第7代孝霊天皇9年(紀元前282年)の創建と伝えられており、全国に約500社ある阿蘇神社の総本社であり、肥後国一の宮、旧官幣大社。
大きな写真

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2016年(平成28年)の熊本地震で被災し、写真の拝殿は2021年(令和3年)7月に再建したもの。再建用材には地元阿蘇中央高校の学校林をはじめ県産材を約8割使用。耐震補強のため大きな柱の下に鉄筋コンクリート製の地中梁を設置、鋼管でつなぐ形で柱を固定した。
拝殿正面を飾る大注連縄(長さ7.5メートル、重さ約160キロ)は氏子らでつくる一の宮町大注連縄伝承会が練り上げた。
拝殿正面を飾る大注連縄(長さ7.5メートル、重さ約160キロ)は氏子らでつくる一の宮町大注連縄伝承会が練り上げた。

楼門
写真は修理中の楼門。
阿蘇神社の社殿群は、1835年(天保5年)から1850年にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたもので、神殿や楼門などの6棟は国重要文化財に指定されている。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、日本三大楼門の一つとされている。
阿蘇神社の社殿群は、1835年(天保5年)から1850年にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたもので、神殿や楼門などの6棟は国重要文化財に指定されている。中でも楼門は九州最大の規模を誇り、日本三大楼門の一つとされている。
古くから阿蘇山火口をご神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として崇敬を集めてきた。神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命をはじめ家族神12神を祀る。
中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、豊臣秀吉の九州平定の際に社領を没収された。その後、領主となった加藤清正、熊本藩主として入国した細川氏によって、社領の寄進、社殿の造修が行われた。
中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、豊臣秀吉の九州平定の際に社領を没収された。その後、領主となった加藤清正、熊本藩主として入国した細川氏によって、社領の寄進、社殿の造修が行われた。

願かけ石
願かけ石は、古くから神石として信仰されてきたもので、室町時代の頃から人々が手を触れて願い事を口々に唱えるようになったと伝わっている。願ぁけにあたっては、「まず心の中で願い事を念じてこの神石を3度撫で、さらに願い事を唱えるべし」とされている。

横参道
全国的にも珍しい横参道で、参道が神社に対して平行にのびている。参道沿いには飲食店などが立ち並び、神社一帯は多くの観光客・参拝客で賑わう人気スポットとなっている。
交通アクセス
【鉄道】

- JR豊肥線「宮地駅」下車、徒歩約15分

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(この項おわり)