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11 世紀まで、聖地エルサレムへの巡礼は平穏であった。ところが、イスラムのセルジューク朝が小アジアに侵出したことにより、次第に巡礼は困難なものになっていった。
東ローマ皇帝はローマ教皇ウルバヌス 2 世に救援を求めた。ウルバヌス 2 世は、1095 年にクレルモン公会議を開催し、ヨーロッパ諸侯の協力を取り付けた。そして 1096 年、十字軍を結成し、聖地奪回に乗り出した。 第1 回十字軍は 1099 年に聖地を占領し、エルサレム王国を建国する。 なお、セルジューク朝は小アジアに侵出しておらず、野心家のウルバヌス 2 世が東西教会の統一と西ヨーロッパへの教皇権の拡大を目論見、セルジューク朝を仮想敵国に仕立て上げたという説もある。 |
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エルサレムはイスラム教にとっても聖地である。イスラム教国は聖地奪還の準備を進めた。そして、1187 年、イスラムのアイユーブ朝の始祖サラディンが、十字軍からエルサレムを奪還する。 1147 年、第2 回十字軍を結成。1270 年まで計7 回(1212 年の少年十字軍を加えると 8 回)の十字軍が派遣されるが、第2 回以降は大部分が失敗に終わった。 十字軍は、結果的に東ローマ帝国、ローマ教皇、諸侯の力を低下させ、代わりに国王や東方貿易で潤ったイタリア諸都市が台頭する。 商業の発展で、各地に城塞で囲まれた都市が誕生する。都市は独自の法律で統治されており(自由都市)、貴族・聖職者・農民とは別に市民(ブルジョア)という階級ができる。城壁(Burg)の中に住む人(Burger)が訛ってブルジョワと呼ばれた。 ちなみに、ハーメルン市の教会には、1284 年 6 月 26 日、130 人の子どもが行方不明になったという記録が残っている。これが「ハーメルンの笛吹き男」伝説である。 |
ハーメルン付近の地図 |
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(この項おわり)
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2009年11月10日 作成
2009年11月10日更新
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