西暦1096年 - 十字軍遠征はじまる

イタリア諸都市の台頭
第1回十字軍によるアンタキヤの包囲
11 世紀まで、聖地エルサレムへの巡礼は平穏であった。ところが、イスラームのセルジューク朝が小アジアに侵出したことにより、次第に巡礼は困難なものになっていった。

東ローマ皇帝はローマ教皇ウルバヌス 2 世に救援を求めた。ウルバヌス 2 世は、1095 年にクレルモン公会議を開催し、ヨーロッパ諸侯の協力を取り付けた。そして 1096 年、十字軍を結成し、聖地奪回に乗り出した。
第1 回十字軍は、イスラーム諸国の準備不足に乗じて、1099 年に聖地を占領し、エルサレム王国を建国する。

なお、セルジューク朝は小アジアに侵出しておらず、野心家のウルバヌス 2 世が東西教会の統一と西ヨーロッパへの教皇権の拡大を目論見、セルジューク朝を仮想敵国に仕立て上げたという説もある。
エルサレムはイスラームにとっても聖地である。イスラーム諸国は聖地奪還の準備を進めた。
ヨーロッパ諸侯は聖地を奪還したものの、エルサレムの周辺には十字軍が建てた国が分立する状況になっていた。
アイユーブ朝の建国者サラーフ・アッディーンは、1187 年にエルサレムを奪還し、リチャード 1 世らがひきいる第3 回十字軍と戦って聖地を死守した。
十字軍はこの後もつづき、1270 年まで計7 回(1212 年の少年十字軍を加えると 8 回)の十字軍が派遣されるが、第2 回以降は大部分が失敗に終わった。第4 回の遠征軍では、味方のはずのコンスタンティノープルを占領するなど迷走し、1270 年の第7 回が最後の試みとなる。

200 年にわたる破壊と略奪によって、エルサレム周辺とそこまでの道程に深い傷跡を残し、西欧と東欧、イスラーム世界にそれぞれ不信と不寛容の種を蒔く結果となった。

十字軍は、結果的に東ローマ帝国、ローマ教皇、諸侯の力を低下させ、代わりに国王や東方貿易で潤ったイタリア諸都市が台頭する。
商業の発展で、各地に城塞で囲まれた都市が誕生する。都市は独自の法律で統治されており(自由都市)、貴族・聖職者・農民とは別に市民(ブルジョア)という階級ができる。城壁(Burg)の中に住む人(Burger)が訛ってブルジョワと呼ばれた。
ちなみに、ハーメルン市の教会には、1284 年 6 月 26 日、130 人の子どもが行方不明になったという記録が残っている。これが「ハーメルンの笛吹き男」伝説である。
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ハーメルン付近の地図

(この項おわり)
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