ひめゆりの塔は太平洋戦争末期の慰霊塔

2013年2月16日 撮影
ひめゆりの塔
ひめゆりの塔(沖縄県糸満市伊原672-1)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月、看護要員として戦場に動員され、亡くなっていったひめゆり学徒隊の慰霊塔である。

1945年(昭和20年)3月24日、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名(教師18名・生徒222名)は、南風原 (はえばる) にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍した。
彼女たちは地下水のしみる狭い南風原陸軍病院第三外科壕で看護活動を続け、食事の世話から遺体の埋葬まで働き続けたという。
ひめゆりの塔の大きな写真大きな写真
(1370×1920 ピクセル, 1309 Kbyte)
ひめゆりの塔
県立第一女子高等女学校の校誌名「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校誌名「白百合」とを組み合わせせ、「ひめゆり」と呼んだ。

アメリが軍との戦闘は熾烈を極め、日本軍の防衛線は徐々に南へ押し戻された。
6月18日、ひめゆり学徒隊は解散となったが、負傷者とともに残った彼女たちは敵軍に包囲され壕から一歩も外へ出ることができなくなり、アメリカ軍の毒ガス攻撃や銃撃で、多くの命が奪われた。壕にいた人々のうち沖縄戦終結まで生き残ったのはわずかに5名だった。
ひめゆりの塔の大きな写真大きな写真
(1200×1600 ピクセル, 913 Kbyte)
ひめゆりの塔
解散後、壕を出た者も荒崎海岸に追い込まれるなどして自決した。
ひめゆり学徒隊の犠牲者194人のうち、解散後の死者は128人だった。

塔の背後には、ひめゆり学徒隊が活躍した第三外科壕がある。

戦後、戦死した学徒の親である金城和信らによって壕が発見された。アメリカ軍によって移住させられた真和志村村民によって遺骨が集められ、1946年(昭和21年)4月7日に慰霊碑が建てられた。
ここにある高さ数十センチの小さな石碑が最初の慰霊碑である。戦後、物資が窮乏するなか造られたささやかな碑であった。冒頭の大きな慰霊碑はその後に建てられた。
ひめゆりの塔の大きな写真大きな写真
(1440×1920 ピクセル, 1352 Kbyte)
ひめゆりの塔
敷地内には1989年(昭和64年)、ひめゆり平和祈念資料館が建てられた。
当時の様子を再現した壕、多くの人々が死んでいったリアルな様子も書かれている生徒達の手記などが展示されている。また、生き残った女性による貴重な証言ビデオを視聴することができる。

開館当初から、元ひめゆり学徒による講話が行われてきたが、2015年(平成27年)3月22日、最終日を迎えた。高齢化により続けていくことが困難と判断し、沖縄戦から70年の節目に引退を決めたものだ。
最後の講話を終えた島袋淑子館長(87)は「戦争を知らない人たちにどう話したら分かってくれるかと、焦ったり悩んだりしている。どれだけ伝わったか心配だが、一つのけじめをつけたい」と語った。
ひめゆりの塔の大きな写真大きな写真
(1440×1920 ピクセル, 1382 Kbyte)
ひめゆりの塔
沖縄県南部は島尻マージと呼ばれる石灰岩ベースの土壌で、洞窟が多い。そのひとつが第三外科壕で、日本軍が本土決戦用に整備した首都圏の地下壕とは根本的に異なる。
ひめゆりの塔の大きな写真大きな写真
(1920×1440 ピクセル, 1420 Kbyte)
ひめゆりの塔
入口の大きなガジュマルの木が目印。

戦争のない平和な社会を築くのは理想だが、現実問題として戦争は無くならない。
問題なのは、前線の混乱のなか、味方も敵も統制がとれなくなり、死ななくてもいい生命を失ってしまうことだろう。
これは平時でも言える。沖縄の人たちはもちろん、地方で観光して東京に戻る我々は、果たして東京にいて地方の人たちの生活を想って仕事をすることができるか‥‥。
ひめゆりの塔の大きな写真大きな写真
(1440×1920 ピクセル, 1483 Kbyte)

交通アクセス

【自動車】
  • 那覇空港から車で35分。タクシー約5200円。
行き方ナビ


目的地:ひめゆりの塔

近隣の情報

参考書籍

表紙 ひめゆりの塔をめぐる人々の手記
著者 仲宗根 政善
出版社 KADOKAWA
サイズ 文庫
発売日 1995年03月17日頃
価格 748円(税込)
ISBN 9784041515013
太平洋戦争の末期、日本国土で最大の戦場となった沖縄では、住民をまき込んで20数万の犠牲者を出した。なかでも悲惨をきわめたのは、従軍看護婦として戦争に参加した、わずか16歳から20歳までの、若いひめゆり学徒たちの最期であった。引率教師だった著者が、奇蹟的に生き残った生徒たちの手記を集め、自らの体験と照応させて綴った本書は、生霊への鎮魂歌であると同時に、永遠に読み継がれるべき戦争の実録である。 まえがき 陸軍病院の日々 一 艦砲射撃はじまる 二 陸軍病院 三 卒業式 四 黄泉の壕 五 看護志願 六 白ゆり 七 勝利の日 八 小杉さん 九 最初の犠牲 一〇 生き埋め 一一 第一外科 一二 第二外科 一三 生き地獄の兵器廠 戦火に追われて 一四 病院移動 一五 担架の上の学友 一六 糸洲 一七 渡嘉敷良子 一八 病院勤務者の配置 一九 石室の軍医 二〇 糸数用武 二一 真空の緑野 二二 小ヤギの死 二三 波平最後の日 二四 影二つ 二五 壕脱出 二六 目大尉、平川見習士官の自決 死の解散命令 二七 死の解散 二八 奇遇 二九 いやはての断崖の歌声 三〇 自決 三一 自決した師友にはぐれた三人 三二 死線をさまよう 三三 学友の死と小鳥 三四 国頭突破 三五 ひめゆりの塔の壕 三六 屍とともに 浄魂を抱いて 三七 ひめゆりの塔 三八 浄魂を抱いて ひめゆりの塔の記 あとがき
 
表紙 水筒―ひめゆり学徒隊戦記
著者 新里堅進
出版社 クリエイティブ21
サイズ 単行本
発売日 1995年05月
価格 1,601円(税込)
ISBN 9784906559022
 

参考サイト

ひめゆりの塔 関連
(この項おわり)
header