世界遺産「首里城」でスタンプラリー

2005年7月24日 撮影
首里城
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首里城 (しゅりじょう) (しゅりぐすく;那覇市首里金城町1-2)は、沖縄県首里市(現在の那覇市の一部)にあった琉球王国の城で、沖縄県内では最大のものだ。
首里城の建設時期は定かでないが、14世紀の三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されている。

首里城は何度も焼失・再建を繰り返してきた。
戦前には国宝に指定されたが、太平洋戦争中の沖縄戦において日本軍が首里城の地下に総司令部を置いたこともあり、1945年(昭和20年)5月にアメリカ軍艦ミシシッピなどからの砲撃を受け完全に焼失した。この際、わずかに城壁の一部や建物の基礎などが地上数十センチメートル程度残っており、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。
そして、2000年(平成12年)に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録された。これが現在の首里城である。

首里城内ではスタンプラリーをやっていた。首里城までの上り坂でヘトヘトになっていたこぱふぅは、スタンプラリーを見るなり元気を取り戻した。
殿内は有料。モノレールゆいレールのフリー乗車券を見せると割引になる。琉球衣装を着たガイドさんがいる。
首里城 関連
守礼門 - 首里城
守礼門 (しゅれいもん) は、首里城外の楼門のひとつである。琉球衣装をまとった女性と記念写真を撮ることができることで有名。
守礼門 - 首里城の大きな写真大きな写真
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守礼門も太平洋戦争で消失したが、アメリカ軍の統治下、1958年(昭和33年)に再建、1972年(昭和47年)5月に県指定有形文化財に指定された。
守礼門 関連
歓会門-首里城
首里城の城郭へ入る第一の正門である歓会門 (かんかいもん) 
「歓会」とは歓迎するという意味。首里城へは中国皇帝の公式の使者「冊封使 (さっぽうし) 」が招かれたが、こうした人々を歓迎するという意味でこの名が付けられた。

歓会門も太平洋戦争で消失したが、1974年(昭和49年)に復元された。
門の両側にはシーサーが鎮座している。沖縄には様々なシーサーがあるが、これを観察するのも面白いと思う。
首里城の城壁
首里城の城壁は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、そのほとんどが破壊されたが、一部が残っている。現在の首里城は、遺構の上に再建されている。
城壁には、遺構と再建部分の継ぎ目を示すプレートが貼ってあるが、これが無ければ継ぎ目は区別できないだろう。
首里城の城壁の大きな写真大きな写真
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儀保駅から首里城を望む
首里城へのアクセスは、ゆいレール首里駅下車、徒歩またはバス(100円)が便利である。ただし、直線距離で見ると儀保駅からの方が近い。儀保駅から首里城までは相当の登り道であるが、タクシーなら1メーターで到着する。
写真は、儀保駅から見た首里城。

交通アクセス

【鉄道】
  • ゆいレール「首里駅」下車、徒歩約15分で守礼門に到着。
【バス】
  • ゆいレール「首里駅」から路線バス「首里城下町線8番に乗車、「首里城前バス停」下車、徒歩3分で守礼門到着。
  • 市内線(1、17)番、市外線(46)番に乗車し、「首里城公園入口バス停」下車、徒歩約5分で守礼門に到着。
  • 市内線9番・市外線25番に乗車し、「山川バス停」下車、徒歩約15分で守礼門に到着。

近隣の情報

(この項おわり)
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