偕楽園の梅まつり

2017年3月11日 撮影
偕楽園
偕楽園
偕楽園 (かいらくえん) (茨城県水戸市見川1-1251)は、岡山後楽園兼六園と並び、日本三名園の一つに数えられてきた日本庭園で、国の史跡及び名勝に指定されている。

本園内には100種3千本の梅が植えられており、毎年2月下旬から3月下旬にかけ、梅まつりが開催される。

1833年(天保4年)、領地を見て回った水戸徳川藩第9代藩主・徳川斉昭 (なりあき) (烈公)は、自ら造園構想を練り、領民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと、偕楽園の名前を付けた。
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偕楽園
偕楽園
6月になると、梅のみを有料頒布する。
徳川斉昭は、梅の実は薬効に優れており、梅干しにして保存食とすることで戦時の副食としても役立つことから、多くの梅を植えたといわれている。水戸さんは質実剛健である。
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孟宗竹林 - 偕楽園
孟宗竹林
表門から一の木戸を入って吐玉泉に通じる園路の左側に、孟宗 (もうそう) 竹林がある。

ここに生えている孟宗竹は弓の材料に適していることから、徳川斉昭が京都男山の竹を移植したものだ。斉昭は、竹を京都の土のついたまま運び、似た土の土地に植えるよう指示したという。
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吐玉泉 - 偕楽園
吐玉泉
このあたりは昔から湧水が多く、徳川斉昭は、地形の高低差を利用して、白色の井筒 (いづつ) を据えた湧水泉「吐玉泉 (とぎょくせん) 」を設置した。この水は眼病に効くといわれている。
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井筒は、茨城県常陸太田市真弓山から採掘した大理石(寒水石)である。水戸藩領の特産物であった寒水石は、白く硬い大理石の間に柔らかい黒い部分が縞模様になっており、水の浸食により縞の部分が溝になり時の経過とともに変化していく。
現在のものは、1987年(昭和62年)12月に更新した4代目である。
偕楽園
偕楽園
吐玉泉をからさらに下ると、小さな池に松の木が植えられている、いかにも日本庭園風の場所に出る。
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向学立志の像 - 偕楽園
向学立志の像
旧制水戸高等学校の生徒の立像。
後世の若人に限りない前進の願いを込め、1989年(昭和64年)に建てられたもの。
常磐神社 - 偕楽園
常磐神社
常磐神社(茨城県水戸市常磐町1-3-1)は、明治元年、徳川光圀 (みつくに) と徳川斉昭の徳を慕う水戸藩士により偕楽園内に祠堂が建てられたのがはじまりである。1874年(明治7年)、偕楽園の東側に社殿が造営された。
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常磐神社 - 偕楽園
常磐神社
徳川光圀は高譲味道根命 (たかゆずるうましみちねのみこと) として、徳川斉昭は押健男国御楯命 (おしたけおくにのみたてのみこと) として祀られている。表参道の石段はかなりの段数がある。
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常磐神社 - 偕楽園
能楽殿
能楽殿(神楽殿)は戦災を免れた古い建物で、1991年(平成3年)に能舞台に改修された。この日は、雛人形が飾ってあった。
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偕楽園駅
偕楽園駅
毎年、梅まつりの時期になると、臨時駅としてJR常磐線、水戸駅と赤塚駅の間に偕楽園駅が開設される。下り列車のみが停車する。
駅を降りると、目の前に常磐神社の階段がある。
偕楽園駅
偕楽園駅
ホームでは水戸の梅大使が出迎えてくれる。
1日中、立っているのだろうか。お疲れさまです🙇

交通アクセス

【鉄道】
  • 水戸駅北口から偕楽園行きバスで約20分
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出発地の最寄駅:

目的地:偕楽園
偕楽園 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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