三内丸山遺跡で縄文時代にタイムスリップ

2018年8月27日 撮影
三内丸山遺跡
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三内丸山遺跡
三内丸山遺跡 (さんないまるやまいせき) (青森県青森市大字三内字丸山305)を22年ぶりに再訪した。
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三内丸山遺跡
以前にはなかった、大型掘立柱 (ほったてばしら) 建物跡が復元されていた。
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柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートルで統一されており、測量の技術があったことをうかがわせる。6つある穴の中には直径約1メートルのクリの木柱が入っていた。用途については、物見櫓説、灯台説、天文台説、神殿説など様々で、結論は出ていない。
三内丸山遺跡
ここに遺跡があることは江戸時代から知られていたが、1992年(平成4年)、県営球場建設の事前調査を行ったところ、大規模な集落跡であることがわかった。1994年(平成6年)、大型建物の跡が発見され、青森県は野球場建設を中止し、遺跡の保存を決定した。
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三内丸山遺跡
大型掘立柱建物跡の近くには、長さ32メートル、幅10メートルの大型竪穴式住居跡が再現されており、内部を見学できる。
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三内丸山遺跡
三内丸山遺跡では多くの竪穴式住居跡が発見されている。写真は樹皮葺きの竪穴式住居を再現したもの。
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三内丸山遺跡
こちらは、土葺きの竪穴式住居を再現したものである。
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三内丸山遺跡
高床式倉庫とみられる柱穴群も発見されている。これは再現したもの。
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2002年(平成14年)11月、遺跡の入口に縄文時遊館がオープンした。
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遺跡から出土した重要文化財約500点を含む、総数約1,700点の遺物を展示している。
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2017年(平成29年)11月5日、300人が世界最大の考古学授業と題した世界記録に挑戦し、見事にギネス世界記録に認定された。
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三内丸山遺跡
木炭を使用した炭素年代測定により、三内丸山遺跡で集落が営まれたのは紀元前3800年~2100年(令和82年)になることがわかったが、なぜこれほどの集落が終焉を迎えたかは分かっていない。
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三内丸山遺跡
縄文土器を模した蛇口。
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三内丸山遺跡
さんまるは、いまから4500年(令和2482年)前の1月1日生まれで、発掘調査で目覚めたという設定。性別不明。板状土偶をモチーフにしている。
以前訪問したときは、もっとリアルな板状土偶が描かれていたのだが、いつの間にか「ゆるキャラ」になったようである。
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交通アクセス

【鉄道+バス】
  • JR青森駅から市営バス「三内丸山遺跡」行きで35分、「三内丸山遺跡前」下車(310円)
  • JR青森駅からシャトル・ルートバス「ねぶたん号」で35分、「三内丸山遺跡前」下車(200円)
  • JR新青森駅からシャトル・ルートバス「ねぶたん号」で15分、「三内丸山遺跡前」下車(200円)
【自動車】
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目的地:三内丸山遺跡
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近隣の情報

参考サイト

(この項おわり)
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