松陰神社と松下村塾

2018年9月9日 撮影
松陰神社
松陰神社
松陰神社(山口県萩市椿東 1537)は、幕末の思想家・教育者である吉田松陰 (よしだ しょういん) が刑死してから 31 年後、1890 年(明治 23 年)、実家・杉家の邸内に実兄・杉民治 (すぎ みんじ) が祠を建て、松陰の遺言により赤間硯と書簡を神体として祀ったのがはじまりである。
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松陰神社
松陰神社
1907 年(明治 40 年)、松下村塾 (しょうかそんじゅく) 出身の伊藤博文野村靖 (のむら やすし) が中心となって、山口県に神社創建の請願書を出した。同年 10 月、県社の社格をもって創建が許可され、土蔵造りの祠を松下村塾の南隣に移して本殿とした。萩城の鎮守で、当時廃社となっていた、宮崎八幡宮の拝殿を譲り受け移築するなど、境内の整備が進められた。
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松下村塾 - 松陰神社
松下村塾
吉田松陰は 5 歳の時、叔父で山鹿流兵学師範である吉田大助 (よしだ だいすけ) の養子となった。まもなく大助が死去したため、兵学師範の家督を継がなくてはならなくなり、叔父にあたる玉木文之進 (たまき ぶんのしん) によるスパルタ教育を受ける。
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松下村塾 - 松陰神社
松下村塾
勉強中に頬にとまった虫を払いのけようとしたところ、殴り飛ばされたという。
その甲斐もあり、松陰は 9 歳のときに明倫館の兵学師範となり、11 歳のとき、藩主・毛利慶親 (もうり よしちか) への御前講義を成し遂げ、秀才ぶりを賞賛された。
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松下村塾 - 松陰神社
松下村塾
1842 年(天保 12 年)、玉木文之進は自宅に寺子屋を開き、松下村塾の看板を掲げた。
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松下村塾 - 松陰神社
松下村塾
講義室は 8畳一間である。往時には塾生が 50 人ほどに増え手狭となったため、塾生の中谷正亮が設計し、松陰と塾生の共同作業で 10畳半の部屋を増築している。

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松陰神社
松下村塾
著名な門下生たちの肖像写真が掲げられている。
松陰が塾生達の指導に当たったのは 2 年余りにしか過ぎなかったが、門下生達は尊王攘夷を掲げて京都で活動した者や、明治維新で新政府に関わる者など幕末・明治において大きな活躍を果たした。
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松下村塾の主な門下生

久坂玄瑞(くさか げんずい) 松下村塾の双璧。長州藩における尊王攘夷派の中心人物として活躍し、坂本龍馬、中岡慎太郎、西郷隆盛に多大な影響を与えた。禁門の変で自刃。
1840年5月~1864年8月20日
高杉晋作(たかすぎ しんさく) 松下村塾の双璧。奇兵隊を創設し、長州藩を倒幕へ方向付けた。明治維新を見ることなく27歳で病死。
1839年9月27日~1867年5月17日
吉田稔麿(よしだ としまろ) 松下村塾の三秀。松陰から「陰頑にして皆人の駕馭を受けざる高等の人物なり」と高く評価された。奇兵隊に参加後、屠勇隊を創設するなど、松陰死後に有力な志士として活動したが、池田屋事件で討ち死。
1841年~1864年
入江九一(いりえ くいち) 松下村塾の四天王。奇兵隊創設に協力。禁門の変で自刃。
1837年5月9日~1864年8月20日
伊藤博文(いとう ひろぶみ) 初代内閣総理大臣、初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監、元老を歴任した。満州にて暗殺。
1841年10月16日~1909年10月26日
山縣有朋(やまがたありとも) 奇兵隊軍監として活躍。内閣総理大臣、元老、司法大臣、枢密院議長、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長などを歴任した。
1838年6月14日~1922年2月1日
木戸孝允(きど たかよし) 桂小五郎。長州藩尊王攘夷派の中心人物として活動。「五箇条の御誓文」の起草に参画、版籍奉還の実現にも尽力した。西郷隆盛、大久保利通とともに、「維新の三傑」と呼ばれる。西南戦争中に病死。
1833年8月11日~1877年5月26日
品川弥二郎(しながわ やじろう) 御楯隊を組織。戊辰戦争で参謀として活躍。維新後は、内務大臣をつとめた。獨協大学や京華学園(京華中学・高校)を創立した。
1843年11月20日~1900年2月26日
山田顕義(やまだあきよし) 禁門の変や戊辰戦争に参戦。初代司法大臣。日本大学の前身である日本法律学校や、國學院大学を創設した。
1844年11月18日~1892年11月11日
正木退蔵(まさきたいぞう) 東京工業大学初代校長や、ハワイ総領事を務めた。
1846年12月12日~1896年4月5日

交通アクセス

【鉄道】
  • JR 東萩駅から徒歩 10 分
【バス】 【自動車】
  • 中国自動車道「美祢東 JCT」から車で 40 分。駐車場あり。
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目的地:松陰神社

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(この項おわり)
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