荻反射炉は長州藩が築造

2018年9月9日 撮影
荻反射炉
萩反射炉 (はぎはんしゃろ) (山口県萩市椿東上ノ原)は、西洋式の鉄製大砲鋳造を目指した長州藩が1856年(安政2年)に建設した反射炉の遺跡だ。高さ10.5メートル。
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上部の一部が煉瓦積みで、その下が安山岩と赤土で造られた煙突部が残っている。
日本に現存する近世の反射炉は、この萩反射炉と、伊豆にある韮山反射炉 (にらやまはんしゃろ) のみである。1924年(大正13年)、国の史跡に指定され、2015年(平成27年)、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録された。

アヘン戦争や黒船来航によって海防強化の必要性を感じた長州藩は、わずかな蘭書の知識などを頼りに自力で、射程距離の長い鉄製大砲や大型の軍艦を建造しようと試行錯誤していた。
当時、鉄製大砲を建造するには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉を用いていた。長州藩は、すでに反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士らを派遣し、鉄製大砲の鋳造方法の伝授を申し入れた。
一度は断られたものの、長州藩が発明した砲架旋風台 (ほうかせんぷうだい) の模型と交換にスケッチを許された。
反射炉建設の記録は見つかっていないが、1856年(安政2年)、鉄製大砲の鋳造に取り組んでいることから、このときに操業していたと考えられている。ただ、萩反射炉は試験炉で、実用炉は築造されなかったと考えられている。

交通アクセス

【鉄道】
  • JR東萩駅から徒歩20分
【バス】 【自動車】
  • 中国自動車道「美祢東JCT」から車で20分。駐車場あり。
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目的地:萩反射炉

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(この項おわり)
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