長岡まつり大花火大会は視野に収まりきらないスケール

2022年8月2日 撮影
長岡まつり大花火大会 2022年
長岡まつり大花火大会(新潟県長岡市岡村町)は、長岡まつりの2、3日目(毎年8月2日、3日)に信濃川の河川敷で行われる行われる花火大会で、大曲全国花火競技大会土浦全国花火競技大会と並ぶ日本三大花火大会の一つに数えられている。
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長岡まつり大花火大会 2022年
1945年(昭和20年)8月1日の長岡空襲で失われた1,488人への鎮魂と、町の復興を掲げ、1946年(昭和21年)8月1日からはじまった長岡復興祭が起原となっている。
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長岡まつり大花火大会 2022年
なお、花火大会そのものは、1879年(明治12年)9月14日・15日に、千手町八幡様のお祭りで、遊郭関係者が資金を供出しあい、350発の花火を打ち上げたことに遡る。
1906年(明治39年)に市制が施行され、本格的な花火大会となり、1917年(大正6年)には二尺玉の打ち上げに成功する。だが、1938年(昭和13年)には戦争により花火大会が中止に追い込まれた。
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長岡まつり大花火大会 2022年
戦後、長岡復興祭がはじまり、1950年(昭和25年)には、山下清が有名な「長岡の花火」を発表する。
1951年(昭和26年)に長岡まつりに改称し、戦後初めて「正三尺玉」の打ち上げに成功する。
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長岡まつり大花火大会 2022年
2021年(令和3年)に発生した東日本大震災を受けて中止する花火大会が多い中、鎮魂の目的をもつ長岡まつり大花火大会は通常開催された。2020年(令和2年)、2021年はコロナ禍のため中止となった。

開催時刻は2日とも19時20分~21時10分で、2日間で合計2万発が打ち上がり、100万人以上の人々をが訪れる。
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河川敷を目一杯に使った打ち上げが特徴で、超大型ワイドスターマインは幅2kmにわたって咲き乱れる。
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長岡の歴史

牧野忠成
牧野忠成
1616年(元和2年)に、堀直寄 (ほり なおより) が入封されると、よく氾濫する信濃川から少し離れた長岡に城を築き、城下町を移し、長岡藩を立藩した。1618年(元和4年)に、直寄に代わって譜代の牧野忠成 (まきの ただなり) が入封となり、1625年(寛永2年)には将軍から朱印状を交付され、北前船による物流と信濃川の舟運を活用し、長岡藩は豊かになっていった。
しかし、戊辰戦争では明治政府に対立し、奥羽越列藩同盟に参加するも政府軍に敗北。1870年(明治3年)に長岡藩は廃藩となり、柏崎県に編入される。
1878年(明治11年)に明治天皇が北陸道・東海道を巡幸。明治中頃になると、東山連峰で原油が発掘される。その後数年で200以上の石油採掘会社が設立され、掘削機械を開発するために鉄工や鋳物を始めとする工業が発展する。
大正時代に入ると油田は枯渇してしまうが、鉄鋼業や機械業が長岡を支えた。
1945年(昭和20年)8月1日、空襲で1480人あまりの市民が死亡し、1万2千個近くが被災した。
戦後復興を遂げた長岡だが、2004年(平成16年)10月23日に長岡市を震源としたマグニチュート6.8の新潟県中越地震が発生。1995年(平成7年)の阪神淡路大震災以来、観測史上2回目の最大深度7を記録し、大きな被害となる。
長岡市章
長岡市章
何度も戦争や災害に見舞われ、そのたびに復興してきた長岡は、不撓不屈のフェニックス(不死鳥)の姿をモチーフに、1977年(昭和52年)9月に左図の市章を定めた。
また、花火大会では毎年、復興祈願花火フェニックスを打ち上げている。

交通アクセス

【鉄道】
  • 長岡駅下車、徒歩約30分
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出発地の最寄駅:

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参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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