
赤地大和錦御旗
鳥羽・伏見の戦いでは、新政府軍5千に対し、旧幕府軍1万5千という兵力の差があった。ところが旧幕府軍は命令系統が整っていなかったうえに、新政府軍が錦の御旗を掲げたことで混乱をきたした。旧幕府軍の兵たちは、朝廷に弓を引くつもりはなかったためだ。

旧幕府軍は壊滅し、大阪城に敗走した。
ところが、大阪城にいるはずだった徳川慶喜は、大型軍艦・海陽の乗って江戸へ下った後だった。
旧幕府軍はやむなく江戸へ落ち延びた。

新政府側の西郷隆盛と幕府側の勝海舟が2日間にわたって会談し、4月11日、幕府が江戸城を明け渡すことで落着する。
慶喜は官位を失い、駿府(現在の静岡県)に移り住んだ。慶喜は政治的野心を持たず、写真、狩猟、投網、囲碁、謡曲など趣味に没頭する余生を送った。1913年(大正2年)に77歳で没するが、これは徳川将軍の中で最長寿である。

旧幕府軍は壊滅し、大阪城に敗走した。
ところが、大阪城にいるはずだった徳川慶喜は、大型軍艦・海陽の乗って江戸へ下った後だった。
旧幕府軍はやむなく江戸へ落ち延びた。

新政府側の西郷隆盛と幕府側の勝海舟が2日間にわたって会談し、4月11日、幕府が江戸城を明け渡すことで落着する。
慶喜は官位を失い、駿府(現在の静岡県)に移り住んだ。慶喜は政治的野心を持たず、写真、狩猟、投網、囲碁、謡曲など趣味に没頭する余生を送った。1913年(大正2年)に77歳で没するが、これは徳川将軍の中で最長寿である。

五稜郭
榎本は五稜郭を拠点に、函館政権の樹立に着手した。
しかし、11月に入り嵐に巻き込まれ、海陽が沈没してしまう。西欧列強は海軍力を失った函館軍を政権として認めなかった。
1869年(明治2年)4月9日には新政府軍が蝦夷地に上陸し、箱館戦争が始まる。
函館軍は徹底抗戦し、土方らは壮絶な最期を迎える。5月17日、榎本は自らが捕虜になる代わりに部下の命を救うという条件で降伏し、ここに戊辰戦争が終結する。

1874年(明治7年)、榎本の外交能力を高く評価した大久保利通は、明治政府への出仕を要請した。榎本は新政府の中で外国公使、外務大臣などを歴任し、特命全権公使として樺太・千島交換条約を締結する。
しかし、11月に入り嵐に巻き込まれ、海陽が沈没してしまう。西欧列強は海軍力を失った函館軍を政権として認めなかった。
1869年(明治2年)4月9日には新政府軍が蝦夷地に上陸し、箱館戦争が始まる。
函館軍は徹底抗戦し、土方らは壮絶な最期を迎える。5月17日、榎本は自らが捕虜になる代わりに部下の命を救うという条件で降伏し、ここに戊辰戦争が終結する。

1874年(明治7年)、榎本の外交能力を高く評価した大久保利通は、明治政府への出仕を要請した。榎本は新政府の中で外国公使、外務大臣などを歴任し、特命全権公使として樺太・千島交換条約を締結する。
参考サイト
- 五稜郭タワーから五稜郭を眺める:ぱふぅ家のホームページ
- 飯盛山は白虎隊終焉の地:ぱふぅ家のホームページ
- 鶴ヶ城は難攻不落の名城:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1874年(明治7年) - 佐賀の乱:ぱふぅ家のホームページ
参考書籍
![]() |
戊辰戦争を歩く 幕末維新歴史探訪の旅 | ||
著者 | 星亮一/戊辰戦争研究会 | ||
出版社 | 潮書房光人社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2010年03月 | ||
価格 | 2,640円(税込) | ||
ISBN | 9784769814689 | ||
二年にわたった旧幕府軍vs新政府軍の戦争。激戦の舞台となった各地でいまも見ることのできる貴重な史跡のかずかずを戦争の経過を追って紹介、幕末維新史の新たな魅力を発掘する歴史ガイドブック。 | |||
![]() |
戊辰戦争 裏切りの明治維新 | ||
著者 | 星亮一 | ||
出版社 | 静山社 | ||
サイズ | 文庫 | ||
発売日 | 2010年08月 | ||
価格 | 733円(税込) | ||
ISBN | 9784863890596 | ||
慶応四年(一八六八)一月、幕府軍は鳥羽伏見の戦いで薩長軍に敗れた。戊辰戦争の始まりである。勝てるはずの戦で会津藩と奥羽越列藩同盟軍はなぜ負けたのか。薩長軍はなぜ会津を殱滅しなければならなかったのか。略奪と破壊の権力抗争に身命を投じて敗者となった奥羽越列藩同盟軍の志士。秘められた戊辰戦争の悲劇と「官軍」という名の賊軍の実態など、葬り去られた明治維新の闇を浮き彫りにする。貴重な新証言を多数収録。 | |||
![]() |
小説榎本武揚 二君に仕えた奇跡の人材 | ||
著者 | 童門冬二 | ||
出版社 | 祥伝社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 1997年08月 | ||
価格 | 1,980円(税込) | ||
ISBN | 9784396631161 | ||
徳川幕府では軍艦奉行として活躍、一転、明治新政府下では閣僚を歴任し爵位まで得た奇跡の男-榎本武揚。「忠臣は二君に仕えず」の武士道精神が生きていた時代、「裏切者」の罵声を浴びながらも、不倶戴典の両政府間を生き抜きた彼にとって、組織とは、国家とは何だったのか。そして、なぜ、彼はかくも重用されたのか-。維新後、政府に弓を引いた箱館時代に敗れた榎本は、当然、刑死を覚悟した。しかしその時、強力な助命嘆願者が現われ、復活の道が拓けた。だが榎本はなおも揺れた。「徳川」に殉ずるか、「明治」に仕えるか…。斯界の第一人者が、榎本の稀有な人生を通して、激変の時代の組織と人材を問う歴史評伝小説の傑作。 | |||
この時代の世界
(この項おわり)
慶応3年10月14日(1867年11月9日)、徳川幕府最後の将軍(15代将軍)、徳川慶喜は大政奉還を行い、政権を朝廷に返上した。慶喜は新政権への参画を目論んでいたが、12月9日には王政復古の大号令が発せられた。
慶喜は抵抗することなく、12月13日、京都から大阪城へ移動した。また、12月16日には新撰組を伏見奉行所に送り、新政府を牽制する。慶応4年1月2日、会津藩、桑名藩などの兵を中心とする旧幕府軍は次々と京都へ進発した。
そして1月3日、ついに鳥羽街道で旧幕府軍と新政府軍が衝突した。