
禄剛崎

禄剛崎
禄剛崎一帯には海岸段丘が発達しており、沿岸には千畳敷と呼ばれる海食台地が広がり、能登半島国定公園の代表的な景勝地の一つとなっている。能登半島の外浦と内浦の双方にまたがるため、朝日と夕日が同じ場所で見ることができる。

東京302km、上海1598km、釜山783km、ウラジオストック772kmという道路標識のような看板が掲げられており、世界に向かって立っている気分にさせてくれる。
看板の向こう側に見えている半球形の金属は、珠洲ロータリークラブが創立5周年の記念事業として製作した方位盤である。

東京302km、上海1598km、釜山783km、ウラジオストック772kmという道路標識のような看板が掲げられており、世界に向かって立っている気分にさせてくれる。
看板の向こう側に見えている半球形の金属は、珠洲ロータリークラブが創立5周年の記念事業として製作した方位盤である。

禄剛埼灯台

禄剛埼灯台
歴史的・文化的価値の高さからAランクの保存灯台に指定されているほか、日本の灯台50選、恋する灯台に認定されている。
建設は、穴水町から船で運んだ石材を、崖下から策動をかけて人力で引き揚げる難工事で、完成まで2年かかった。
建設は、穴水町から船で運んだ石材を、崖下から策動をかけて人力で引き揚げる難工事で、完成まで2年かかった。

禄剛埼灯台

禄剛埼
灯台一帯は広場として整備されている。

「日本列島ここが中心」の碑
広場にはいくつかモニュメントが建っているが、中でも目立つのが、「日本列島ここが中心」という石碑。国土地理院によれば、日本列島の重心点が禄剛埼なのだという。

「日本列島ここが中心」の碑
石碑は重心点のイメージを表しているのだが、初見では何が描かれているのは見当が付かないかもしれない。

禄剛崎灯台点灯百周年記念碑
禄剛崎灯台初点灯百周年を記念し、1983年(昭和58年)7月10日に建立された禄剛崎灯台点灯百周年記念碑。
能登半島地震で被災
2024年(令和6年)1月1日に発生した能登半島地震で被災し、建設当初から使われてきたレンズの上部が崩落し、光量が低下してしまった。たいへん古いレンズのため、修復できる人材や部品を探すことも難しく、LEDへの置き換えが検討されている。
近隣の情報
- 禄剛崎灯台は日本で唯一「菊の御紋章」がある灯台:ぱふぅ家のホームページ
- のと鉄道能登線廃線跡地――蛸島駅、珠洲駅、宇出津駅:ぱふぅ家のホームページ
- 寄り道パーキング 大谷から能登の里山里海を眺める:ぱふぅ家のホームページ
- 見附島は空海が見つけた奇岩の島:ぱふぅ家のホームページ
- 道の駅すず塩田村では手塩にかけた粗塩を実演販売:ぱふぅ家のホームページ
- イカの駅つくモールにあるイカキング:ぱふぅ家のホームページ
- 昨夏、過疎で「祭りじまい」した珠洲の祭り、能登地震を縁に復活(2024年8月30日)
- 石川県能登町のモニュメント「イカキング」は逆境に負けない(2024年1月26日)
- お騒がせ巨大イカ、愛称決まる(2021年6月29日)
- 禄剛埼で永遠の愛誓って 「恋する灯台」に認定(2017年8月17日)
- 香り、うま味、のど越し◎ 珠洲で「秋あがり」利き酒(2016年9月23日)
(この項おわり)
禄剛埼がある珠洲市は、すすみ(狼煙のこと)にちなむとされており、市内には狼煙町、狼煙港、狼煙海岸などの地名が残っている。禄剛埼周辺海域は交通の要衝だが、古くから海難事故が多かった。この狼煙は、1883年(明治16年)7月10日に禄剛埼灯台が点灯するまで活躍したという。禄剛埼灯台を狼煙の灯台と呼ぶこともある。