諏訪神社(立川)には目の神様やアマビエ像がある

2025年1月5日 撮影
本殿 - 諏訪神社(立川)
本殿
諏訪神社(東京都立川市柴崎町1-5-15)に初詣に訪れた。1200年(正治2年)の由緒ある神社として立川の人たちから親しまれており、二度の大きな火災に見舞わたが再建を果たし、現在の本殿は2002年(平成14年)に立てられたもの。
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鳥居 - 諏訪神社(立川)
鳥居
毎年8月28日に近い金・土・日の3日間、例大祭を催し、近年は立川市と合同で「立川諏訪祭り」の形で行われ、6基の神輿が街を練り歩き、境内にある土俵で相撲や市指定無形民俗文化財の獅子舞が披露される。神社の周りには100店近い出店が並ぶ。
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参道 - 諏訪神社(立川)
参道
中村光さんの漫画『聖☆おにいさん』の舞台は立川市だが、第1巻で仏陀とイエスが御神輿を担いでいるのが、立川諏訪祭りだ。
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神門 - 諏訪神社(立川)
神門
毎月1日には月次祭を催したり、成人祭、節分祭、建国祭、春祭り、夏祭り、秋祭り(奉納芸能大会)、七五三祭、新嘗祭、除夜祭など年中行事は多い。
神門の左側に土俵がある。
神門を入って右側に、神楽殿、境内末社、目の神様、アマビエ像が並ぶ。
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参道 - 諏訪神社(立川)
参道
神門の外から本殿まで長い行列ができており、参詣するまで45分ほどかかった。
境内に駐車場があるので、地元だけでなく、近隣から車で来ている参詣客も多そうだ。
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本殿 - 諏訪神社(立川)
本殿
大国主神の次男・建御名方神 (たけみなかたのか) は諏訪に住む武勇に富んだ神様として崇められ、諏訪大社に祀られていたが、811年(弘仁2年)7月27日、第52代嵯峨天皇の時代に、現在の諏訪の森公園に分祀された。
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本殿 - 諏訪神社(立川)
本殿
武蔵国風土記」「江戸名所図会」(1834~1836年)にも登場する。

1586年(天正14年)11月9日の武蔵野野火により社殿・宝物・旧記・神主の系図などを消失した。1670年(寛文10年)に社地を移し、本殿が再建された。1994年(平成6年)10月26日に不審火があり諏訪神社・八幡神社・稲荷神社の社殿が消失するが、2002年(平成14年)に再建。
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稲荷神社 - 諏訪神社(立川)
稲荷神社
諏訪神社の本殿に向かって、左に八幡神社が、右に稲荷神社がある。

八幡神社は1252年(建長4年)8月15日に創建され、地元の立川氏の氏神として庇護を受けてきたもので、1907年(明治40年)7月まで柴崎町1-7-17にあったものを合祀した。
稲荷神社は1819年(文政2年)6月に境内末社として創建された。宇迦御魂神@うかのみたまのかみ)@ruby@を祀る。
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絵馬 - 諏訪神社(立川)
絵馬
諏訪神社の元締めは、長野にある諏訪大社だ。
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神楽殿 - 諏訪神社(立川)
神楽殿
神楽殿は、1929年(昭和4年)に完成した。1966年(昭和41年)に台風により倒壊したが、1968年(昭和43年)に再建した。
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疱瘡神社、日吉神社 - 諏訪神社(立川)
疱瘡神社、日吉神社
境内末社には、疱瘡神社、日吉神社(811年7月27日創建)、金比羅神社(1853年創建)、浅間神社(1910年に合祀)が並ぶ。
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金比羅神社、浅間神社 - 諏訪神社(立川)
金比羅神社、浅間神社
出雲大社大国主神を祀っているが、その次男である建御名方神は国津神の中でも力自慢で知られていた。そこで、天津神の建御雷神 (たけみかづち) と力比べをしたが、まったく歯が立たず、諏訪の地まで追われ、そこにとどまることを誓ったという。その後、日本神話に建御名方神が表れることはない。
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目の神様・アマビエ像 - 諏訪神社(立川)
目の神様・アマビエ像
平安時代後期には八条院領となり、警護する武装集団は鎌倉時代に入って諏訪新党と呼ばれるようになり、源頼朝の庇護を受ける。第2代執権・北条義時が信濃国守護になると、鎌倉幕府との繋がりを強め、幕府滅亡後も北条時行を匿い、中先代の乱を起こす。
戦国時代には、武田信玄から崇敬を受けた。

明治初頭の神仏分離令の影響で、1871年(明治4年)には諏訪大社の神職の世襲制が廃止され、国幣中社に格付けされ、諏訪神社に改名された。
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目の神様・アマビエ像 - 諏訪神社(立川)
目の神様・アマビエ像
その後、官幣中社、官幣大社と昇格し、戦後は神社本庁の別表神社の一社へと駆け上っていった。1948年(昭和23年)には他の諏訪神社と区別するために諏訪大社で呼ばれるようになった。
地域の人々の祈りを力に、時には中央と対立してでも生き延びてきたのが諏訪大社・諏訪神社であるようだ。
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目の神様 - 諏訪神社(立川)
目の神様
目の神様の創建時期は不詳だが、現在の祠は1928年(昭和3年)に建てられた。以前、御神木として立っていたもみの木に自然に水が溜まり、村人がその水で目を洗ったところ、目がよくなったことから生まれた民間信仰だという。社務所で目の御守りをいただける。
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アマビエ像 - 諏訪神社(立川)
アマビエ像
2021年(令和3年)6月に、新型コロナウイルス感染拡大を受け、立川ロータリークラブが疫病から人々を守るとされるアマビエ像を寄贈した。どことなく愛らしい造型だ。
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交通アクセス

【鉄道】
  • JR中央線「立川駅」から徒歩約10分
  • 多摩都市モノレール「立川南」から徒歩約8分
【自動車】
  • 中央高速道「国立府中I.C.」から約15分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:諏訪神社(立川)
諏訪神社 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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