西暦325年 - ニケーア公会議
キリスト教の教義が決まる
ニケーア公会議
313年、ローマ帝国の西方帝
コンスタンティヌス1世
と東方帝
リキニウス
が連名で、信仰の自由を保障する
ミラノ勅令
を公布した。
324年、
コンスタンティヌス1世
はキリスト教徒であることを宣言した。
翌325年、小アジアのニケーアに約300人の司教を集め、キリスト教の教義を決する最高会議を開催した。開催場所から
ニケーア公会議
(ニカイア公会議、第1回ニカイア公会議とも)と呼ばれることになる。
なお、
三位一体説
が教義として確立するには、381年の
コンスタンティノープル公会議
を待たねばならなかった。
ニケーア公会議
では、
コンスタンティヌス1世
自らが黄金の椅子に座り議長をつとめたが、イエスの神性を否定する
アリウス派
と、イエスの神性を認める
アタナシウス派
の両派が激しく論争を展開した。
議論は1ヶ月つづき、最終的に300人の司教のうち295人が賛成したアタナシウス派が正統とされた。異端となったアリウス派は、ローマ領から追放となった。
ニケーア公会議
では、紀元前45年に共和制ローマで始まった
ユリウス暦
を用いてイースター(復活祭)の日取りを定める基準として、春分の日を3月21日に固定した。
さらに、364年の
ラオデキア公会議
では、安息日を土曜日(ユダヤ教のサバト)ではなく日曜日とした。
この時代の世界
225
275
325
375
425
475
300
300
400
400
325
ニケーア公会議
381
コンスタンティノープル公会議
313
ミラノ勅令
244
311
ディオクレティアヌス帝
250
325
リキニウス
272
337
コンスタンティヌス1世
317
361
コンスタンティヌス2世
347
395
テオドシウス1世
375
ゲルマン民族の大移動はじまる
395
ローマ帝国の分裂
354
430
アウグスティヌス
360
聖ソフィア大聖堂の建立
265
晋の成立
236
290
司馬炎
290
司馬衷
276
322
司馬睿
307
365
王義之
304
439
五胡十六国時代
344
405
顧愷之
337
422
法顕
320
チャンドラグプタ1世が即位
290
335
チャンドラグプタ1世
248
卑弥呼が死去
Tooltip
(この項おわり)
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324年、コンスタンティヌス1世はキリスト教徒であることを宣言した。
翌325年、小アジアのニケーアに約300人の司教を集め、キリスト教の教義を決する最高会議を開催した。開催場所からニケーア公会議(ニカイア公会議、第1回ニカイア公会議とも)と呼ばれることになる。
なお、三位一体説が教義として確立するには、381年のコンスタンティノープル公会議を待たねばならなかった。