西暦395年 - ローマ帝国の分裂

東西ローマ帝国に分かれる

ざっくり壊れた (395) ローマ帝国

ソフィア大聖堂 - 東ローマ帝国
ソフィア大聖堂 - 東ローマ帝国
395年、ローマ帝国皇帝テオドシウス1世(大帝)は死に際に、帝国を東西に分け、長男アルカディウスに東を、次男ホノリウスに西を与えて分割統治させた。
当初はディオクレティアヌス時代の4分割統治に習ったものであったが、これ以後、帝国が統一されることはなかった。東は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)として、西は西ローマ帝国として異なる運命を歩むことになる。
西ローマ帝国はゲルマン民族の侵入に苦しめられた。そして、476年、成立からわずか100年でゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされる。
一方、東ローマ帝国は、1453年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで1000年にわたって続くことになる。

宦官とオリエント世界

興味深いことに、東ローマ帝国では宦官 (かんがん) が国家の要職を担っていた。
古代シュメール語には宦官を意味する言葉がいくつかあり、宦官がいたと考えられている。シュメール文明を受け継いだアッシリアアケメネス朝にも宦官がおり、そこからオリエント世界に広がっていったと考えられている。その意味では、東ローマ帝国はオリエント世界だったと言える。オスマン帝国にも宦官がいた。
中国には秦の始皇帝の時代に宦官が登場し、朝鮮、ベトナムなどの漢字文化圏へ広がっていった。

この時代の世界

225 275 325 375 425 475 525 300 300 400 400 500 500 395 ローマ帝国の分裂 347 395 テオドシウス1世 375 ゲルマン民族の大移動はじまる 434 493 オドアケル 381 451 ネストリウス 406 453 アッティラ 451 カタラウヌムの戦い 486 フランク王国の建国 313 ミラノ勅令 354 430 アウグスティヌス 272 337 コンスタンティヌス1世 325 ニケーア公会議 317 361 コンスタンティヌス2世 381 コンスタンティノープル公会議 360 聖ソフィア大聖堂の建立 418 479 雄略天皇 307 365 王義之 304 439 五胡十六国時代 344 405 顧愷之 337 422 法顕 356 422 劉裕 365 448 寇謙之 439 南北朝時代(中国)はじまる 276 322 司馬睿 370 414 チャンドラグプタ2世 320 チャンドラグプタ1世が即位 290 335 チャンドラグプタ1世 Tooltip
(この項おわり)
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