
周辺諸国への影響
唐は隋の制度を受け継いで発展させ、東アジアに君臨する大帝国となる。
この帝国の基礎を築いたのは、3代目皇帝の太宗の善政(貞観の治)だが、太宗が似たような境遇だった煬帝と違ったのは、よく臣下の進言を聞いたことであった。
太宗の時代、新羅と連合して朝鮮半島の百済、高句麗を滅ぼし、中央アジアの西突厥を破り、唐は世界帝国として繁栄することになる。

唐の成立と拡大は周辺諸国を刺激し、その政治社会制度を範とした国造りをうながした。
朝鮮半島では新羅が統ーを果たし、日本では大化の改新が起こって天皇中心の体制が生まれている。
チベットにも英主ソンツェン・ガンポが出て、統一と文化の発展がみられた。
インド亜大陸には様々な民族、言語、文化が存在し、また地勢的に分断されやすいので、統一国家をつくるのは難しい。しかし、7世紀には、ハルシャ・ヴァルダナとプラケーシン2世という英傑が現れ、それぞれ北インドとデカン高原に版図を広げた。
もっとも、個人の器量に依存した体制は長続きせず、英傑の死後はまた群雄割拠の状況に戻ってしまう。
この帝国の基礎を築いたのは、3代目皇帝の太宗の善政(貞観の治)だが、太宗が似たような境遇だった煬帝と違ったのは、よく臣下の進言を聞いたことであった。
太宗の時代、新羅と連合して朝鮮半島の百済、高句麗を滅ぼし、中央アジアの西突厥を破り、唐は世界帝国として繁栄することになる。

唐の成立と拡大は周辺諸国を刺激し、その政治社会制度を範とした国造りをうながした。
朝鮮半島では新羅が統ーを果たし、日本では大化の改新が起こって天皇中心の体制が生まれている。
チベットにも英主ソンツェン・ガンポが出て、統一と文化の発展がみられた。
インド亜大陸には様々な民族、言語、文化が存在し、また地勢的に分断されやすいので、統一国家をつくるのは難しい。しかし、7世紀には、ハルシャ・ヴァルダナとプラケーシン2世という英傑が現れ、それぞれ北インドとデカン高原に版図を広げた。
もっとも、個人の器量に依存した体制は長続きせず、英傑の死後はまた群雄割拠の状況に戻ってしまう。
この時代の世界
(この項おわり)
その後を継いだ息子の李世民(太宗)は、租庸調制や官僚制度など隋の制度を引き継ぎ、貞観の治と呼ばれる諸制度の整備を行い、唐帝国の基礎を築いた。