
663年8月28日、朝鮮半島の白村江の戦いにおいて、日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に敗れる。

白村江の戦い
663年3月、日本軍はさらに2万7千の兵を増援した。
こうして朝鮮半島で白村江の戦いが起きるが、結局、日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に敗れてしまう。
中大兄皇子は、唐や新羅の侵攻に備え、大宰府に濠を掘って、各地に山城を築いた。また、兵役として集めた防人を、664年に対馬に配置し、西日本各地に配置した。
こうして朝鮮半島で白村江の戦いが起きるが、結局、日本・百済連合軍は唐・新羅連合軍に敗れてしまう。
中大兄皇子は、唐や新羅の侵攻に備え、大宰府に濠を掘って、各地に山城を築いた。また、兵役として集めた防人を、664年に対馬に配置し、西日本各地に配置した。

金田城
667年に、対馬の浅茅湾南岸に金田城を築いて国境要塞とし、674年には厳原が正式な国府の地に決まった。対馬国司守忍海造大国は、対馬で産出した銀を朝廷に献上した。これが日本で初めての銀の産出となった。
667年、唐や新羅の侵攻を恐れた中大兄皇子は、大津(現在の滋賀県)に都を築いた。これが大津宮である。
参考書籍
この時代の世界
(この項おわり)