
1066年(治暦2年)、ノルマンディー公ウィリアム(ギヨーム)が、北フランスからイングランドへ攻め込みウェストミンスター寺院で戴冠すると、イングランド王ウィリアム1世を名乗りノルマン朝がはじまる。

ヘイスティングズの戦い
ギヨームは、6千の兵力をイングランド南部ヘイスティングズへ上陸させた。イングランド王ハロルド2世は、7千の兵力でこれを迎え撃った。
イングランド軍は長大な戦斧を装備した重装歩兵の密集陣形を築いたが、ギヨーム軍は初めてクロスボウを実戦投入し、イングランド軍の陣形を崩すことに成功し、ハロルド2世の命を奪った。
イングランド軍は長大な戦斧を装備した重装歩兵の密集陣形を築いたが、ギヨーム軍は初めてクロスボウを実戦投入し、イングランド軍の陣形を崩すことに成功し、ハロルド2世の命を奪った。
ノルマン人はイングランド人と同様にゲルマン民族に属するので、ノルマン・コンクエストは比較的容易に進んだ。しかし、ノルマン朝はフランス北部(ノルマンディー地方)にも領土を持っていたため、その後の英仏関係に複雑な影響を及ぼし、百年戦争の遠因ともなっている。

なお、ノルマン・コンクエストの支配力はウェールズ、スコットランド、アイルランドにまでは及ばなかった。これらの地域はもともとゲルマン人の勢力下にはなく、ケルト人が支配していたということが大きい。

なお、ノルマン・コンクエストの支配力はウェールズ、スコットランド、アイルランドにまでは及ばなかった。これらの地域はもともとゲルマン人の勢力下にはなく、ケルト人が支配していたということが大きい。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)