西暦1054年 - キリスト教会の東西分裂
ローマ教会とコンスタンティノープル教会へ
キリスト教諸教派の成立の概略を表す樹形図
1054年(天喜2年)、
ローマ教会
(西方教会)と
コンスタンティノープル教会
(東方教会)の対立は決定的なものになり、たがいに相手を破門することで決裂した。両者は同じキリスト教とはいえ、まったく別個な信仰内容と形式、教会組織を発展させていく。
初期のキリスト教には、ローマ、コンスタンチノープル、アンティオキア、エルサレム、アレキサンドリアの各地に中心的な教会があった。これを
五本山
と呼ぶ。
キリスト教は教義の解釈、典礼の規範において統一した見解がないまま地中海世界一帯に広まってしまい、これが分裂を生む原因となった。
313年の
ミラノ勅令
によって、ローマ皇帝が強行を兼ねることにより、各地の教会の違いが表面化することはなかった。
しかし、395年に
ローマ帝国が分裂
すると、ローマ教会とコンスタンティノープル教会の間の対立が目立つようになる。
そして1054年(天喜2年)、ローマ教皇レオ9世とコンスタンティノープル総主教ミカエル1世ケルラリオスが相互に破門したことによって、分裂は決定的なものとなった。
この時代の世界
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925
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1025
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1125
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1054
キリスト教会の東西分裂
1002
1054
レオ9世
1020
1085
グレゴリウス7世
1027
1087
ウィリアム1世
1066
ノルマン・コンクエスト
1042
1099
ウルバヌス2世
1077
カノッサの屈辱
1050
1106
ハインリヒ4世
962
神聖ローマ帝国のはじまり
967
987
ルイ5世
987
フランス王国の成立
940
996
ユーグ・カペー
958
1025
パシレイオス2世
1000
1059
ミハイル1世キルラリオス
1054
おうし座に超新星出現
1006
おおかみ座に超新星出現
1051
1062
前九年の役
1018
藤原道長の絶頂期
966
1027
藤原道長
1000
彰子が中宮に
988
1074
藤原彰子
1000
1036
藤原威子
977
1001
藤原定子
973
1014
紫式部
966
1025
清少納言
980
1011
一条天皇
976
1017
三条天皇
978
1030
和泉式部
999
1019
敦康親王
994
1027
藤原妍子
992
1074
藤原頼通
1008
1036
後一条天皇
1000
1057
安部頼時
1000
1062
藤原経清
988
1075
源頼義
921
1005
安倍晴明
955
1019
安倍吉昌
979
宋による中国統一
927
976
趙匡胤
922
992
趙普
939
997
太宗
1019
1086
司馬光
1021
1086
王安石
1048
1085
神宗
1070
王安石の改革
979
高麗による朝鮮半島統一
980
1037
イブン・スィーナー
934
1025
フェルドウスィー
971
1030
マフムード
1010
「シャー・ナーメ」完成
990
1063
トゥグリル・ベク
1038
セルジューク朝の建国
970
アル=アズハル学院創立
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(この項おわり)
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初期のキリスト教には、ローマ、コンスタンチノープル、アンティオキア、エルサレム、アレキサンドリアの各地に中心的な教会があった。これを五本山と呼ぶ。
キリスト教は教義の解釈、典礼の規範において統一した見解がないまま地中海世界一帯に広まってしまい、これが分裂を生む原因となった。
313年のミラノ勅令によって、ローマ皇帝が強行を兼ねることにより、各地の教会の違いが表面化することはなかった。
しかし、395年にローマ帝国が分裂すると、ローマ教会とコンスタンティノープル教会の間の対立が目立つようになる。
そして1054年(天喜2年)、ローマ教皇レオ9世とコンスタンティノープル総主教ミカエル1世ケルラリオスが相互に破門したことによって、分裂は決定的なものとなった。