竹書房!? 破壊したはずでは‥‥

2018年1月20日 撮影
竹書房
竹書房
竹書房(東京都千代田区飯田橋 2 丁目7番3 号)は、麻雀情報・漫画でお馴染みの出版社で、飯田橋と九段下の間の目白通りに面して本社ビルがある。
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竹書房
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竹書房といえば、1989 年(昭和 64 年)から 5 年間連載された『西原理恵子の麻雀放浪記』によれば、白夜書房博報堂と並ぶ三悪の一角を占める、あの竹書房である。初詣に向かう途中で訪れることになろうとは、いやはや‥‥。

竹書房といえば、『アカギ』や『ムダヅモ無き改革』を筆頭に、子どもには読ませられない漫画ワースト・ワンの(にもかかわらず所蔵が多い)出版社なのであるが、最近では『ラーメン大好き小泉さん』のような 2010 年代風美少女キャラも扱っており、文庫本を含めてアニメ原作が意外に多く、侮れない――絵柄がどう変わろうが、中身は竹書房なのであるが。
竹書房
竹書房
正面には、アニメが大ヒットしたご長寿漫画『ぼのぼの』の自販機が設置されており、玄関扉には連載誌が打ち切った曰く付き漫画「ポプテピピック」のアニメ化ポスターが貼ってあった。手書きで訂正してあるのが竹書房クオリティ😂

情報によると、手書きでは無く印刷とのこと――なんでも、鉄道の駅に貼るポスターは手書きはNGだとか。
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竹書房 - JR飯田橋駅
竹書房 - JR飯田橋駅
JR飯田橋駅・東口改札の目の前に、竹書房の大きな看板が――WEB連載 最終回 15-1で破壊されたはずの竹書房は健在であった。

にしても、地下鉄への案内看板の真下に、バックライト付きで、デカデカと「500m くらい」というアバウトな案内は、やはり竹書房である😓
目白通り
目白通り
飯田橋駅方面を臨む――正面右側に見える高層ビルは、首都大学東京オープンユニバーシティの飯田橋キャンパスである。

目白通りは環状3 号線の一角を為す。
1923 年(大正 12 年)に発生した関東大震災の復興のため、東京駅を中心に、半径約 16km(10 マイル)の範囲に、1 号から 8 号までの環状道路を同心円状に配置し、放射状の道路を走らせる道路整備計画が立てられた。
だが、太平洋戦争が始まり整備計画は棚上げとなり、戦後に一部工事が行われるも、全通はしていない。
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目白通り
目白通り
九段下駅方面を臨む。

このあたりの地下には、東京メトロ・東西線が通っている。
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日本赤十字社跡
日本赤十字社跡
目白通りの、飯田橋駅東口から九段下駅に至る区間には、地元商店会が「歴史のプロムナード」と名付け、史跡の標柱を立てている。

日本赤十字社は、1877 年(明治 10 年)の西南戦争の際に設立された博愛社が起源である。博愛社は、1886 年(明治 19 年)、飯田町貨物駅に病院を建設し、国際赤十字条約に加入。翌1987 年(昭和 62 年)、日本赤十字社と改名した。
1894 年(明治 27 年)、飯田町駅が建設されるために病院は立ち退き、この地に移転した。1912 年(明治 45 年)、現在の本社がある芝に移るまで、ここにあったという。
新徴組屯所跡
新徴組屯所跡
幕府は浪人を集めて浪士組を組織し、1863 年(文久 3 年)、将軍家茂の警護のため京都に上った。だが、浪士組の組織を提案した清河八郎は尊皇攘夷論者で、京都に入った浪士組を譲位のための戦力にしようと考えた。
ところが、あくまで幕府のために任務を全うしようとする近藤勇や芹沢鴨が反発し、浪士組から新撰組が誕生する。残った浪士組は江戸へ帰還し、新徴組 (しんちょうぐみ) と名付けられた。

戊辰戦争では、新徴組は新政府軍へ抵抗を続けたが、庄内藩の降伏に伴って、武装解除させられ、開拓事業に従事させられるなどメンバーは散り散りになったという。

あの竹書房の付近は、アカギも顔負けするほどの、近代の凄まじい歴史の舞台であった。

交通アクセス

【鉄道】
  • JR ・東京メトロ「飯田橋駅」A5 出口から、徒歩約 10 分
  • 東京メトロ「九段下駅」5番出口から、徒歩約 10 分
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出発地の最寄駅:

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参考サイト

近隣の情報

この付近でネットができる宿

(この項おわり)
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