西暦1274年 - 文永の役

最初の元寇
文永の役 - 元寇
文永の役 - 元寇
フビライ
フビライ
1274年(文永11年)10月20日、軍船900隻、兵士2万6千人のモンゴル軍が九州博多湾に迫った。最初の元寇 (げんこう) 、これが文永の役 (ぶんえいのえき) である。蒙古襲来とも呼ばれる。

当時、大陸を支配していたモンゴル帝国(元)の皇帝フビライは、帝国が発行する紙幣の換金性を担保するために、日本の銀を狙っていた。そこで、1268年(文永5年)、属国の高麗王国 (こうらいおうこく) を介して日本に使者を送った。
北条時宗
北条時宗
一方、これに脅威を感じた鎌倉幕府は、第8代執権・北条時宗 (ほうじょうときむね) のもと、徹底的な無視を決め込む。
業を煮やしたモンゴル帝国は高麗王朝と連合し、1274年(文永11年)、日本遠征を行った。10月5日、船450艘、3万人のモンゴル軍の大軍勢が対馬の佐須浦 (さすうら) に上陸した。対馬国の地頭代(守護代でもある)だった宗助国 (そう すけくに) は、80余騎を率いて佐須浦へ向かった。朝になり、通訳を使者としてモンゴル軍に事情を尋ねたところ、いきなり矢を射かけられ戦端が開かれた。多勢に無勢で宗助国らは全滅する。
モンゴル軍は続いて壱岐を襲った。鎌倉幕府は大宰府に御家人などを集め、3000騎で防戦体制を固めた。
一騎打ちで臨んだ日本軍は、モンゴル軍の集団戦法や火薬による攻勢に為す術がなかった。ところが一夜明けた10月21日、モンゴル船団は消え失せていた。暴風雨(いわゆる神風)によりモンゴル軍船は壊滅状態に陥ったと言われていたが、最近の研究では、文永の役はモンゴル軍の敵情視察と威嚇攻撃に過ぎず、1日で撤退する計画だったと考えられている。
鎌倉にいた北条時宗の元に報告がもたらされたのは、1週間後の11月1日であった。

宗氏はその後も明治維新まで対馬を治め、朝鮮貿易で利益をあげた。

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参考書籍

表紙 蒙古襲来 歴史を変えた日本の戦い
著者 加来耕三/水谷俊樹
出版社 ポプラ社
サイズ 全集・双書
発売日 2009年11月
価格 1,100円(税込)
ISBN 9784591110942
史上最大の帝国“元”から二度の侵略。未曾有の危機に、立ち向かう男達。
 
表紙 蒙古襲来 海から見た歴史
著者 白石一郎
出版社 講談社
サイズ 文庫
発売日 2003年12月
価格 649円(税込)
ISBN 9784062739146
元の大軍勢はなぜ敗れ去ったのか?海洋歴史小説の第一人者にして戦いの舞台・福岡在住の著者が、クビライの海洋帝国構想、玄界灘の北西季節風の影響、軍船の構造と建造日程など、海からの視点と大胆な推論で「蒙古襲来」の真相を解明する。十三世紀の「日本」と「世界」の激突を、臨場感豊かに描く歴史読物。
 

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(この項おわり)
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