
2013年8月14日 撮影
五稜郭は、1854年(嘉永7年)3月の日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するため、徳川家定の命により築造され、1866年(慶応2年)に完成した。
大きな写真

(2560×1707 ピクセル, 1592 Kbyte)

2019年1月20日 撮影
箱館湾内からの艦砲射撃の射程外に位置する場所に、水堀で囲まれた五芒星型の堡塁と1ヶ所の半月堡を築き、内側に奉行所などの建物が、北側に住宅街が造られた。現在の敷地面積は、郭内外合わせて25万平方メートルある。

2013年8月14日 撮影
箱館奉行が設置された当初、奉行所は函館山の麓にあった。しかし、海から攻撃を受けるとひとたまりもなく、また函館山から一望できてしまうため、五稜郭の敷地内に移転・新築することになった。
現在の建物は、2010年(平成22年)7月に復元されたものである。一般公開されている。
現在の建物は、2010年(平成22年)7月に復元されたものである。一般公開されている。

2013年8月14日 撮影

2013年8月14日 撮影
新タワーは五稜郭の形に似せて、断面形状を塔体は星形、展望台は五角形となっている。
新タワーの竣工に伴って旧タワーは閉鎖・解体され、跡地にガラス張りのアトリウムが建設された。

新タワーの1階は売店、2階はレストランになっている。
入場料を払ってエレベーターに乗り展望台へ向かう。約30秒で展望台に到着する。
展望台も2階建てで、500人を収容できる。
新タワーの竣工に伴って旧タワーは閉鎖・解体され、跡地にガラス張りのアトリウムが建設された。

新タワーの1階は売店、2階はレストランになっている。
入場料を払ってエレベーターに乗り展望台へ向かう。約30秒で展望台に到着する。
展望台も2階建てで、500人を収容できる。

2019年1月20日 撮影
新タワーは、地震・強風によるタワーの揺れを低減する制震装置「スーパースロッシングダンパー」(SSD)をタワー最上部に設置しており、水の動きを建物の振動に共振させることで地震や強風による建物の揺れを低減させる。震度7の地震でも、最大瞬間風速50m/secの強風に対しても安全なように設計されている。

2013年8月14日 撮影
新タワーの展望室には、建造当時の五稜郭の250分の1の模型がある。

2013年8月14日 撮影

2013年8月14日 撮影
新タワーの展望室には、グラフィック展示「五稜郭物語」として、ペリー来航から始る五稜郭の歴史を、年表や絵図面でわかりやすく紹介している。

2013年8月14日 撮影
新タワーの展望室には、メモリアルポールとして16個のジオラマが展示されており、五稜郭の歴史と人々のドラマを目の当たりにすることができる。
ガラスの映り込みのために見にくいが、ジオラマは精巧に作り込まれている。
ガラスの映り込みのために見にくいが、ジオラマは精巧に作り込まれている。

2013年8月14日 撮影
五稜郭タワーの手前に、皇太子殿下行啓記念碑が建っている。この石碑に刻まれている皇太子というのは、後の大正天皇である。1911年(明治44年)8月20日から23日まで函館を訪れている。

2013年8月14日 撮影
函館商業学校(現・北海道函館商業高等学校)の校舎は、1922年(大正11年)7月、元町から五稜ヶ丘に移転した。1970年(昭和45年)3月に昭和町に移るまでの約半世紀の間に、この地を巣立った卒業生は約2万人に及ぶ。
士魂商才を校是に、激動の時代にも質実剛健に生き抜いた五稜郭健児たち栄光の年輪を深く刻むものとして、当時の校門を移設し、90周年記念として、校章マーキュリーとともに永遠に残すこととなった。
交通アクセス

近隣の情報
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(この項おわり)