大塚国際美術館(徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦字福池65-1)は、大塚製薬グループの創業75周年事業として1998年(平成10年)に開設された。
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正面にあるのは、ミケランジェロが1533年(天文2年)から8年かけて描いた「最後の審判」で、幅12メートル、高さ13.7メートルという巨大フレスコ画である。
展示されている陶板名画は、大塚オーミ陶業株式会社が開発した特殊技術により陶板化されており、2000年(平成12年)たっても色褪せないという。
美術教育に資するべく、大塚国際美術館は写真撮影が可能で、陶板名画に直接手を触れることもできる。
美術教育に資するべく、大塚国際美術館は写真撮影が可能で、陶板名画に直接手を触れることもできる。
モナ・リザは、レオナルド・ダ・ヴィンチが1503年(文亀3年)から1519年頃にかけて描いたとされる油彩画である。オリジナルはフランスの国有財産で、パリのルーヴル美術館が常設展示している。サイズは77cm×53cmと、意外に大きい。
空気遠近法を取り入れ、輪郭を描かずに顔や手を表現している。
正面から見ても斜めから見ても、女性の視線がまっすぐに鑑賞者に向けられているように感じる。
謎の微笑みからは、さまざまなパロディが生まれたほか、宇宙人が描かれているというトンデモ話まで、ネタに事欠かない世界一の名画である。
空気遠近法を取り入れ、輪郭を描かずに顔や手を表現している。
正面から見ても斜めから見ても、女性の視線がまっすぐに鑑賞者に向けられているように感じる。
謎の微笑みからは、さまざまなパロディが生まれたほか、宇宙人が描かれているというトンデモ話まで、ネタに事欠かない世界一の名画である。
最後の晩餐は、レオナルド・ダ・ヴィンチが1495年(明応4年)から1497年にかけて、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描いた作品である。
4.2×9.1メートルという巨大な作品が実寸大で再現されている。フレスコ画では使用できる色数に制限があることから、テンペラ画の技法で描かれている。だが、テンペラ画は経年劣化に弱い。
制作から500年以上、教会の増改築があったり、ナポレオン時代には馬小屋になったり、第二次大戦に入ると空襲を受けるなどしたものの、壁画は残り続けた。現在では存在自体が奇跡だと言われている。
1977年(昭和52年)から1999年にかけて大規模な修復作業が行われた。部屋の反対側には、修復前の最後の晩餐の陶板が展示されている。
制作から500年以上、教会の増改築があったり、ナポレオン時代には馬小屋になったり、第二次大戦に入ると空襲を受けるなどしたものの、壁画は残り続けた。現在では存在自体が奇跡だと言われている。
1977年(昭和52年)から1999年にかけて大規模な修復作業が行われた。部屋の反対側には、修復前の最後の晩餐の陶板が展示されている。
私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。
ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠は、ナポレオン1世の首席画家ルイ・ダヴィッドが描いた油彩画で、1807年(文化4年)に完成した。1804年(享和4年)にノートルダム大聖堂で催された戴冠式の様子を描き出している。
幅10メートル×高さ6メートルの大作で、190名を越える人物はほぼ等身大で描かれている。オリジナルはパリのルーブル美術館にある。
作品公開の翌年、アメリカの事業家から同サイズの複製の注文を受け、記憶を頼りに1822年(文政5年)に完成させた。すでにナポレオンは失脚しており、ダヴィッド自身も間もなく他界する。
2作目は現在、ヴェルサイユ宮殿に展示されている。
作品公開の翌年、アメリカの事業家から同サイズの複製の注文を受け、記憶を頼りに1822年(文政5年)に完成させた。すでにナポレオンは失脚しており、ダヴィッド自身も間もなく他界する。
2作目は現在、ヴェルサイユ宮殿に展示されている。
ゴヤに製作を依頼したマニュエル・デ・ゴドイ首相は女好きで有名だったが、自宅で「裸のマハ」を隠すように「着衣のマハ」を掲げ、滑車装置を使って「裸のマハ」が現れるような仕組みを用意していたという。
それまでのバベルの塔を描いた絵画に比べると迫力のある構図で、塔は円柱状に変化している。足場を組んで煉瓦を積んでいく様子など、執拗なまでに細かく描き込まれている。
アレクサンダー大王の戦いは、1529年(享禄2年)、ドイツのアルブレヒト・アルトドルファーによって描かれた油絵で、サイズは158cm×120cm。イッソスの戦いがモチーフとなっており、ドイツの国立美術館アルテ・ピナコテークに収蔵されている。
この絵画の特徴は、中空に浮かぶタブレットだ。ラテン語で
荒れ模様の空には夕陽と三日月が描かれており、不気味な雨雲が渦巻いている。そして、数千の騎兵と槍を構えた歩兵が、じつに緻密に描き込まれている。
アレクサンダー大王は最後のダレイオスを打ち破り、10万の歩兵と1万を超える騎兵を殺害した。一方ダレイオスは1000に満たない騎兵と共に逃亡し、彼の母と妻と子供が捕虜になった。と書かれている。
荒れ模様の空には夕陽と三日月が描かれており、不気味な雨雲が渦巻いている。そして、数千の騎兵と槍を構えた歩兵が、じつに緻密に描き込まれている。
真珠の耳飾りに輪郭線はなく、光の反射だけで大粒の真珠を立体感豊かに描き出している。
フェルメールの作品は色数が少ないのが特徴だが、この絵の青いターバンは、ラピスラズリという貴石から作られた高価な絵の具を使っている。
フェルメールの作品は色数が少ないのが特徴だが、この絵の青いターバンは、ラピスラズリという貴石から作られた高価な絵の具を使っている。
中央に、5歳のマルガリータ王女が描かれている。フェリペ4世とマリアナの間に生まれた中では唯一の生き残りで、のちに神聖ローマ皇帝レオポルト1世と結婚する。だが、この絵の本当の主役は誰なのか、絵の中の画家が描いているのは何なのか、奥の鏡に映っている二人の男女は誰なのか、等々、謎が尽きない絵としても有名である。
民衆を導く自由の女神は、フランスのドラクロワが1830年(文政13年)に描いた油絵で、同年に起きたフランス7月革命をモチーフにしている。サイズは259cm×325cmで、ルーヴル美術館に収蔵されている。
1831年(天保元年)5月のサロン展に出品されフランス政府が買い上げたが、扇動的な内容であることから、1848年(弘化4年)の革命までは常設展示は行われなかったという。それほど様々な寓意が込められている絵画で、パロディの題材としても事欠かない。
サルダナパールはアッシリアの30人の王の最後の人物で、放蕩の限りを尽くした暴君であったが、その最期にあたっては寵姫、侍者、財宝もろとも、自ら宮殿に火を放って死んだと伝えられる。この作品では、無表情なサルダナパールが、自らの財産が破壊されるのを眺めている。
ラ・ジャポネーズは、フランスのクロード・モネが1876年(明治9年)に制作した、サイズが231cm×142cmという巨大な油彩画である。ボストン美術館が所蔵する。
1854年(嘉永7年)に日本が開港すると、着物や磁気など高級品がヨーロッパに流れ込み、日本の芸術や文化が注目されるようになり、ジャポニズムと呼ばれた。モネもジャポニズムの影響を受け、着物を着た妻カミーユをモデルにした本作品を、第2回印象派展に出展した。
1854年(嘉永7年)に日本が開港すると、着物や磁気など高級品がヨーロッパに流れ込み、日本の芸術や文化が注目されるようになり、ジャポニズムと呼ばれた。モネもジャポニズムの影響を受け、着物を着た妻カミーユをモデルにした本作品を、第2回印象派展に出展した。
グランド・ジャット島の日曜日の午後は、フランスのジョルジュ・スーラが1886年(明治19年)に制作した油彩画。サイズは207.6cm×308cm。ボストン美術館が所蔵する。
パリ北西、セーヌ川の中州・グランド・ジャット島で夏の余暇を過ごす人々を描いた作品で、点描表現が特徴的だ。
小学生の頃、この作品のジグソーパズルをやったことがきっかけで、図画の水彩画を点描に切り替えたところ、通知表の点数が大幅アップした思い出がある。
小学生の頃、この作品のジグソーパズルをやったことがきっかけで、図画の水彩画を点描に切り替えたところ、通知表の点数が大幅アップした思い出がある。
ホラティウス兄弟の誓いは、フランスのジャック=ルイ・ダヴィッドが1784年(天明4年)に制作した油彩画。サイズは326cm×420cmで、ルーヴル美術館が所蔵する。
題材となっているローマのホラティウス三兄弟は、リウィウスの『ローマ建国史』によれば、ローマへの忠誠を示し、クリアトゥス兄弟と決闘した。制作されたのはフランス革命前夜。国家への忠誠を盛り上げる内容の絵が増えていった時期に重なる。
当初、モノクロのおどろおどろどしい印象もあり、評判は良くなかったが、次第に反戦、平和への強いメッセージ性を持つ絵画としての地位を築いていく。
ピカソの作品には、平和の象徴としてハトがよく描かれている。ところが本作では、翼の折れたハトが描かれている。
ピカソは死ぬまでフランコ将軍と対立し、本作品は長い間、ニューヨーク近代美術館に預けられていた。ピカソ、フランコの2人が没し、ようやくスペインに返還され、現在はマドリードの国立ソフィア王妃芸術センターに所蔵されている。
ピカソは死ぬまでフランコ将軍と対立し、本作品は長い間、ニューヨーク近代美術館に預けられていた。ピカソ、フランコの2人が没し、ようやくスペインに返還され、現在はマドリードの国立ソフィア王妃芸術センターに所蔵されている。
リシュリュー枢機卿の肖像は、フランスのフィリップ・ド・シャンパーニュが1639年(寛永16年)頃に描いた油彩画で、サイズは222cm×155cmという大きなもの。ルーヴル美術館が所蔵する。
ルイ13世の宰相として名高いリシュリューの全身像で、枢機卿であることを示す赤い角帽を前に差し出し、見事な襞のついた僧服が鮮やかな色彩で描き出されている。
ルイ13世の宰相として名高いリシュリューの全身像で、枢機卿であることを示す赤い角帽を前に差し出し、見事な襞のついた僧服が鮮やかな色彩で描き出されている。
ルーベンスが活躍したフランドルは、中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。この反映を背景に、15世紀にはフランドル絵画が確立し、イタリア・ルネサンスに影響を与えた。
ルーベンスは大規模な工房を経営し、その作品はヨーロッパ中の貴族階級や収集家間でも高く評価された。ルーベンスは古典にも通じており、さらに7ヶ国語を操り、外交官としても活躍した。スペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世からナイト爵位を受けている。
ルーベンスは大規模な工房を経営し、その作品はヨーロッパ中の貴族階級や収集家間でも高く評価された。ルーベンスは古典にも通じており、さらに7ヶ国語を操り、外交官としても活躍した。スペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世からナイト爵位を受けている。
交通アクセス
【バス】
- 徳島行き高速バス「高速鳴門」→路線バス「大塚国際美術館前」バス停
- 神戸淡路鳴門自動車道「鳴門北I.C.」から鳴門海峡方面(左折)約3分
近隣の情報
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参考サイト
- 大塚国際美術館
- 大塚国際美術館へ:踊る阿呆を、観る阿呆
- 大塚国際美術館に行く:音源雑記帖
(この項おわり)