
安中公害訴訟
いかにもインスタ映えする安中精錬所であるが、そこには公害という暗い歴史が横たわっている。

1937年(昭和12年)、設立されたばかりの日本亜鉛製錬株式会社の精錬所として操業した。
まもなく、周辺の養蚕農家でカイコの生育不良が発生する。当初は天候不良などが原因と考えられていたが、1938年(昭和13年)になると、住民の間で公害ではないかという認識が生まれ、地元駐在所の巡査が住民と工場の交渉を仲介した。
1941年(昭和16年)、工場側は住民と補償の覚書を交わしたが、住民から買い取った土地を使って工場を拡張したため、紛争が起きた。この頃、社名が東邦亜鉛に変更された。
戦後、社会党や共産党が加わり住民運動は過激になり、東邦亜鉛労働組合はストライキを決行した。
1968年(昭和43年)、富山県で起きたイタイイタイ病の原因が同じカドミウムだと知った住民は、高崎市に壁新聞を掲示した。これが契機となり、病院や大学による調査が始まり、1973年(昭和48年)9月、東京高裁で裁判が始まった。
そして1986年(昭和61年)9月、東邦亜鉛が住民らに4億5000万円を支払うことで和解が成立した。カイコの被害が出てから、半世紀近くが過ぎていた。

1937年(昭和12年)、設立されたばかりの日本亜鉛製錬株式会社の精錬所として操業した。
まもなく、周辺の養蚕農家でカイコの生育不良が発生する。当初は天候不良などが原因と考えられていたが、1938年(昭和13年)になると、住民の間で公害ではないかという認識が生まれ、地元駐在所の巡査が住民と工場の交渉を仲介した。
1941年(昭和16年)、工場側は住民と補償の覚書を交わしたが、住民から買い取った土地を使って工場を拡張したため、紛争が起きた。この頃、社名が東邦亜鉛に変更された。
戦後、社会党や共産党が加わり住民運動は過激になり、東邦亜鉛労働組合はストライキを決行した。
1968年(昭和43年)、富山県で起きたイタイイタイ病の原因が同じカドミウムだと知った住民は、高崎市に壁新聞を掲示した。これが契機となり、病院や大学による調査が始まり、1973年(昭和48年)9月、東京高裁で裁判が始まった。
そして1986年(昭和61年)9月、東邦亜鉛が住民らに4億5000万円を支払うことで和解が成立した。カイコの被害が出てから、半世紀近くが過ぎていた。
交通アクセス

参考サイト
- 東邦亜鉛株式会社
- 東邦亜鉛安中精練所の工場視察会があり、安中公害元原告団と会社との3年ごとの協定書が更新されました:金井久男の活動記
- 東邦亜鉛安中精錬所:Allegrettoな風景
近隣の情報
- 安中精錬所の夜景:ぱふぅ家のホームページ
- 安中榛名駅は新幹線の秘境駅:ぱふぅ家のホームページ
- 富岡製糸場は超ホワイト職場としてスタート:ぱふぅ家のホームページ
- 榛名神社は奇岩・御姿岩を御神体とする:ぱふぅ家のホームページ
- 峠の釜めしは今も人気:ぱふぅ家のホームページ
- SL碓氷はD51が戦前の客車を牽引:ぱふぅ家のホームページ
- 碓氷峠鉄道文化むらでトロッコ列車に乗る:ぱふぅ家のホームページ
- 榛名湖と榛名富士山神社:ぱふぅ家のホームページ
- 伊香保温泉・伊香保神社は万葉集に登場:ぱふぅ家のホームページ
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(この項おわり)
この工場では、鏡の鏡面や工業製品のメッキ塗装に使われる亜鉛などを生産している。