毘沙門天 善國寺には狛犬ではなく石虎が

2019年1月5日 撮影
毘沙門天 善國寺
神楽坂 (かぐらざか) の中腹にある毘沙門天 (びしゃもんてん)  善國寺 (ぜんこくじ) (東京都新宿区神楽坂5-36)へ初詣した。真っ赤な社殿は神楽坂のシンボルとなっている。
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毘沙門天 善國寺
毘沙門天は仏教の四天王の一人で、わが国では七福神の福徳を司る神として広く信仰されている。毘沙門天は多聞天 (たもんてん) とも呼ばれ、文字通り、参詣者の願い事を多く聞いてくださる。善國寺は、新宿山ノ手七福神めぐりに含まれている。
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毘沙門天 善國寺
二条昭実 (あきざね) の息子、日惺 (にっせい) 上人は徳川家康と親交があった。1590年(天正18年)、家康が江戸城に居を移すと、祖父伝来の毘沙門天像を前に天下泰平の祈祷を行った。
これを受けて家康は、日本橋馬喰町 (ばくろうちょう) 馬場北に寺地を与え、手ずから「鎮護山・善國寺」の山・寺号額をしたためて贈り、開基となった。
1670年(寛文10年)に焼失するが、水戸光圀麹町 (こうじまち) に移転し、再建した。その後も徳川家の祈願所として栄えた。江戸時代に何度か焼失し、1792年(寛政4年)、現在の場所へ移転した。
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毘沙門堂 - 毘沙門天 善國寺
毘沙門堂
1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失するが、1951年(昭和26年)、毘沙門堂を再建。1971年(昭和46年)、現在の本堂・毘沙門堂が完成した。
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石虎(吽形) - 毘沙門天 善國寺
石虎(吽形)
本堂の左右にある石像は、普通の狛犬と様子が違う――トラである。石虎 (いしとら) と呼ばれ、新宿の有形民俗文化財に指定されている。いずれも1848年(弘化4年)に奉納されたもの。
写真は左側の吽形 (うんぎょう) だが、背中の部分が欠けており、全体的に大分痛んでいる。これは東京大空襲による損傷らしい。
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石虎(阿形) - 毘沙門天 善國寺
石虎(阿形)
写真は右側の阿形 (あぎょう) で、吽形に比べてよく保存されている。
善國寺は毘沙門天信仰からトラを重要視している。台石を含めた総高は2メートルを超え、台石正面には浮き彫りがあり、トラの動く姿を表現している。

阿形の台石正面にある「不」に似た刻印は、明治初年のイギリス式測量の几号 (きごう) 水準点で、現存するものは全国でも珍しい。
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水掛不動尊 - 毘沙門天 善國寺
水掛不動尊
本殿に向かって左側には水掛不動尊がある。

水掛不動尊は、お供え物を持ち合わせていなかった参拝客が、水を掛けて手を合わせたのが始まりだという。水を掛けて、用意されている手ぬぐいで身体の悪い部分を吹くと、平癒するとされている。
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毘沙門せんべい 福屋
毘沙門せんべい 福屋
向かいには毘沙門せんべい 福屋が店を構えている。1948年(昭和23年)の創業。

歌舞伎俳優の先代・中村勘三郎が、ここの煎餅が大好物で、自分用に「もっと焦せ」と、特別な注文をしたのが縁で、名物の「勘三郎せんべい」が商品化されたという。
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交通アクセス

【鉄道】
  • JR「飯田橋駅」西口より徒歩7分
  • 東京メトロ有楽町線・南北線「飯田橋駅」B3出口より徒歩5分
  • 東京メトロ東西線「神楽坂駅」A1出口より徒歩6分
  • 都営地下鉄大江戸線「牛込神楽坂駅」A3出口より徒歩6分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:毘沙門天 善國寺
神楽坂 関連

近隣の情報

参考サイト

(この項おわり)
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