浅間山荘で1972年に「あさま山荘事件」が起きた

2022年4月3日 撮影
浅間山荘
浅間山荘(長野県北佐久郡軽井沢町)は、かつて、河合楽器製作所(浜松市)の保養所であったが、1972年(昭和47年)2月19日に、警察に追われていた新左翼組織連合赤軍の残党メンバー5人が、管理人の妻を人質に立て籠もるという「あさま山荘事件」が発生した。
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浅間山荘
人質を救出するため、警視庁機動隊と長野県警察機動隊が山荘を包囲するが、機動隊員2名と民間人1名の死者を出した。
マイナス15℃という極寒の中でカップヌードルをすする機動隊員、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な映像がテレビで生中継された。10日目の2月28日に部隊が強行突入したとき、ピーク時の視聴率が90%近くに達した。人質は無事に救出し、犯人5名は全員逮捕された。

鉄筋コンクリート4階建ての山荘は、現在、香港に本部がある一般社団法人の慈善団体「[正生會@せいせいかい@ruby@」の日本支部(東京都足立区)が所有しており、保存状態もよい。
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浅間山荘
一般には公開されておらず、正生會が青少年の活動の場に活用しているという。4階に玄関があるが、鉄球で壊された外壁部分はきれいに修復されている。
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治安の礎
治安の礎
山荘の玄関の近くには、銃撃され殉職した警察官2人の慰霊のため、「治安の礎」と刻まれている顕彰碑が建てられた。
あさま山荘事件の終結により、連合赤軍幹部全員が逮捕され、連合赤軍の崩壊した。人質となった女性は長野県警察本部に保護されたが、マスコミは病室のベッドに盗聴器を仕掛けるなどしてスクープを流した。
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浅間山荘
逮捕後の取り調べで連合赤軍リンチ殺人事件が明らかになり、一連の事件を通じ私たちは、イデオロギーの名のもとに、そして加熱する報道の自由のもと、いかに人権が蔑ろにされるかを目の当たりにしたのだった。
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警備実施した佐々淳行警視正は、その後、初代内閣安全保障室長に就任した。亀井静香警察庁警備局公安第三課課長補佐は、2017年(平成29年)まで衆議院議員を務めた。國松孝次警視庁広報課長は、その後、警察庁長官に就任した。

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(この項おわり)
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