下町風俗博物館は大正時代の街並みを再現

2022年5月22日 撮影
下町風俗博物館
下町風俗博物館(東京都台東区上野公園2番1号)は、古き良き江戸の風情をとどめる大正時代の東京・下町の街並みを再現するとともに、台東区を中心とした下町地域にゆかりの資料、生活道具や玩具、さらに季節やそれに応じた年中行事に関連するものなど、さまざまな資料を展示している。
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下町風俗博物館
不忍池の畔にあり、1980年(昭和55年)に台東区の博物館として開館した。
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下町風俗博物館
1階では、大正時代の下町の街並みを再現している。
通りに面した商家は花緒の製造卸問屋で、出桁 (だしげた) 造といわれる当時の商家の典型的な建物で、作業場と帳場がある。手前には電話ボックスがある。
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路地に入ると、駄菓子屋と銅壷 (どうこ) 屋が並んだ長屋がある。銅壷とは、火鉢の中に置き、湯を沸かし燗酒をつくる民具で、銅壷屋はこれを作る職人である。
長屋は薄壁一枚に仕切られた隣同士で、井戸も共同で使っていた。

これらの展示品は、すべて実際に使われていたもの。
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商家の帳場――帳場は商家にとって最も重要な場所であり、主人と番頭以外はここに座ることが許されなかったという。
帳簿をつけたり勘定をするところを囲む帳場格子 (ちょうばごうし) の中に、樫や欅といった丈夫で重い木材で造られた銭箱があり、使い込まれた算盤や、縁起物の招き猫など置かれている。
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駄菓子屋の中――壁一面に商品がギッシリ並んでいる。
駄菓子は江戸時代からあったが、太平洋戦争後、戦争未亡人となった女性が生活費を稼ぐために開き、展示にあるような駄菓子屋が全国に広まっていった。
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貴重品だった砂糖ではなく、人工甘味料入りの安いお菓子が駄菓子として売られていた。
パパぱふぅが子どもの頃には、駄菓子屋の店主たちは存命であったが、コンビニが台頭し、1989年(昭和64年)に消費税が導入されると、次々に廃業していった。
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人力車は、1870年(明治3年)頃に日本で発明された、人の力で人を輸送するために設計された車で、明治・大正期に移動手段として用いられた。一部はヨーロッパやアジア諸国に輸出され、リキシャとよばれ海外でも名をはせた。最盛期には国内で20万台も走っていたという。

車軸の両側に1つずつ車輪を持ち、上に乗客が座る台座と、あるいは雨避けとなる覆いを持ち、台座とつながれた柄を俥夫 (しゃふ) が曳いて進むというのが基本スタイル。車輪は、当初荷車のように鉄輪製で、引くとガラガラと音を立てたが、しだいに棒ゴムタイヤとなり、1912年(明治45年)には空気入りゴムタイヤに改良された。
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昭和30年ごろの下町の家――東芝製テレビや、足踏み式ミシン、黒電話などが展示されている。
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交通アクセス

【鉄道】
  • JR上野駅「しのばず口」、京成上野駅から徒歩5分
  • 地下鉄千代田線「湯島駅」、地下鉄銀座線・日比谷線「上野駅」、都営大江戸線「上野御徒町駅」、地下鉄銀座線「上野広小路駅」から徒歩5分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:下町風俗博物館

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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