上野恩賜公園の西郷隆盛像と不忍池

2022年5月22日 撮影
西郷隆盛像(東京・上野)
西郷隆盛像(東京・上野)
上野恩賜公園(東京都台東区上野公園1)に建っている西郷隆盛像は高村光雲の作で、台座は塚本靖が設計し、西郷の死後21年を経た1898年(明治31年)12月18日に除幕式が行われた。1868念に江戸城を無血開城させ、江戸を戦火から救った功績を称えるべく、宮内省からの下賜と全国からの寄付を募って建立されたものだ。
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西郷隆盛像(東京・上野)
西郷隆盛像(東京・上野)
銅像は身長370.1cm、胸囲256.7cm、足のサイズ55.1cm、重量約9トンという巨大なものである。台座を合わせた高さは8メートルにも及ぶ。このため、見上げたときに適正に見えるよう、実際より頭部が大きく作られている。

散歩をしている姿ではなく、愛犬「ツン」をつれ、腰に藁の兎罠をはさんで兎狩りに出かける姿を模したものだが、なにしろ西郷さんの写真が残っていないものだから、除幕式に出席した奥さんや東郷平八郎元帥からはダメ出しされたという。
銅像の正面左側には、隆盛の生涯と銅像の由来を記した銘板があり、上部に「敬天愛人」という西郷の座右の銘が刻まれている。
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1625年(寛永2年)に創建された寛永寺は、上野公園一帯を境内とする広大な寺院だった。1868年(慶応4年)の江戸城無血開城から2ヶ月後、抗戦派の幕臣らが彰義隊を結成し、寺周辺で新政府軍と戦った。このとき、西郷隆盛は新政府軍の薩摩兵を率いて戦い、幕府軍は勝利した。このとき、寛永寺伽藍の大部分を焼失し、敷地は新政府に没収され、その大部分が上野公園になった。
西郷の死後、銅像を皇居前に建てようという計画が持ち上がったが、1877年(明治10年)の西南戦争では朝敵となったことから、建立場所は上野公園に変更になったという。
西郷隆盛像(鹿児島)
西郷隆盛像(鹿児島)
鹿児島市内にある西郷隆盛像は、身長576cmとさらに大きく、軍服姿で凛々しい。

上野の像も、当初は陸軍大将の正装の姿で作ろうとしていたが、名誉回復がなされたとはいえ、一度は明治政府に叛いた逆賊とされた人の像を軍服姿にすることに反対があり、今の姿に落ち着いたという。
お連れの薩摩犬は、これより小さいが、西郷とのバランスを考えて大きめに作られた。現在は絶滅した。
ハス池 - 不忍池
ハス池
不忍池 (しのばずのいけ) は、上野恩賜公園の南端に位置する周囲約2km、面積約11万平方メートルの天然の池である。歩道となっている堤で、蓮池、ボート池、鵜の池の3つに分かれる。
渡り鳥・留鳥あわせて数十種類の鳥類が見られ、1960年(昭和35年)頃から多数のカモ類が飛来するようになった。
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ハス池 - 不忍池
ハス池
ボート池を除く部分ではハスの繁殖が著しく、毎年夏になると池の南部はほぼ埋め尽くされる。江戸時代には色とりどりの花のハスが植えられていたと言われるが、現在では桃色のジバスと白の明鏡蓮との2系統だけである。 秋には白いアシが池一面に広がる。
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ボート池 - 不忍池
ボート池
ボート池には、ローボート、サイクルボート、スワンボートの3種類をレンタルできる。このボードに乗ったカップルは漏れなく別れるというジンクスがあるのが、不忍池と井の頭公園池の二凶を制している私たち夫婦は、かれこれ四半世紀にわたって一緒に暮らしている😂
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不忍弁天堂 - 不忍池
不忍弁天堂
不忍池には八臂 (はっぴ) 大弁財天を祀る弁天島があり、そこにある不忍池辯天堂は、寛永寺を創建した天海僧正が建立したもの。創建当時のお堂は戦災で消失し、現在の堂は1958年(昭和33年)に再建したもの。
不忍弁天堂 - 不忍池の大きな写真大きな写真
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八臂大弁財天は、長寿や福徳・芸能の守りとして信仰されている。池の四方からお参りできるよう、八角形の形をしている。

交通アクセス

【鉄道】
  • 京成線「上野駅」下車、徒歩2分
  • JR線「上野駅」下車、徒歩7分
行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:西郷隆盛像(東京・上野)
 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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