敦賀赤レンガ倉庫〜敦賀鉄道資料館〜敦賀港

2023年7月31日 撮影
敦賀赤レンガ倉庫
敦賀赤レンガ倉庫
敦賀赤レンガ倉庫(福井県敦賀市金ヶ崎町4-1)は、1905年(明治38年)にニューヨーク・スタンダード石油会社が石油倉庫として建設した。2015年(平成27年)に観光資源として再整備し、南棟がレストラン館、北棟がジオラマ館、南側の敷地がオープンガーデンとなっている。
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敦賀赤レンガ倉庫
敦賀赤レンガ倉庫
2009年(平成21年)に国の登録有形文化財に登録された。アメリカ人の設計によるため、フィート単位で建設された。オランダ製煉瓦を使用したり、内部に柱が見えないなどの工夫がみられる。
2022年(令和4年)3月、倉庫前のベンチに恐竜博士を設置した。
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キハ28形気動車 - 敦賀赤レンガ倉庫
キハ28形気動車
敦賀市は鉄道で栄えた。そこで、2018年(平成30年)5月、小浜線を走っていたキハ28形気動車の展示を始めた。
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敦賀鉄道資料館
敦賀鉄道資料館
敦賀鉄道資料館(福井県敦賀市港町1-25)は、欧亜国際連絡列車で賑わっていた敦賀港駅舎を、2009年(平成21年)に再現したものである。
1912年(明治45年)に、新橋から金ヶ崎(敦賀港)を経てウラジオストクに渡り、ヨーロッパに繋がる欧亜国際連絡列車が運行開始した。
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敦賀鉄道資料館
敦賀鉄道資料館
1枚の切符で、東京からパリまで行くことができた。当時、日本からヨーロッパへの船旅は1ヶ月を要していたが、欧亜国際連絡列車を利用すれば17日でベリルンにつくことができた。
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敦賀鉄道資料館
敦賀鉄道資料館
欧亜国際連絡列車が運行開始する直前、歌人の与謝野晶子は、このルートを使って与謝野鉄幹を追ってパリへ旅立った。
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敦賀鉄道資料館
敦賀鉄道資料館
日本が初めて夏季オリンピックに参加した1912年(明治45年)のストックホルム・オリンピックでは、金栗四三が率いる日本選手団が欧亜国際連絡列車に乗った。

第二次世界大戦開戦から1940年(昭和15年)、リトアニア領事代理であった杉原千畝が発給した命のビザを持ったユダヤ人難民が欧亜国際連絡列車に乗って続々と敦賀に上陸した。敦賀の人たちは銭湯を無料開放したり、りんごなどの果物を無償で提供したりと、難民を温かく迎えた。

しかし、戦争の激化に伴い、欧亜国際連絡列車は1941年(昭和16年)に運行中断した。
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時刻表 - 敦賀鉄道資料館
時刻表
館内には、線路、信号機、投光機、通票閉塞機といった実物資料や鉄道模型、映像やパネルによる展示が行われている。

1882年(明治15年)3月に開業した北陸線・敦賀~敦賀港(通称 敦賀港線)2.7kmは、戦後も貨物の運搬に利用されていたが、トラック運送の波に呑まれ、JR貨物はを2019年(平成31年)4月1日に廃止し、137年の歴史に幕を引いた。
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欧亜国際連絡列車 100周年記念号 - 敦賀鉄道資料館
欧亜国際連絡列車 100周年記念号
2012年(平成24年)7月25日、JR西日本は「サロンカーなにわ」を使って大阪から敦賀へ向けて「欧亜国際連絡列車 100周年記念号」を運行した。
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敦賀港・金ヶ崎緑地
敦賀港・金ヶ崎緑地
敦賀港は日本海側有数の天然の良港で、古くからアジア大陸を結ぶ交流拠点として、また、江戸中期以降は北前貿易の中継基地として栄えてきた。
開港100周年を記念し、2003年(平成15年)に海浜公園として金ヶ崎緑地がオープンした。時計台が目印だ。
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敦賀港は、敦賀湾の奥深くにある湾で、琵琶湖より波が少ないと言われるほど穏やかである。また、陸側に海が入り込んでおり、検疫や入国審査を行いやすく、古代から日本の玄関口として利用されてきた。
氣比神宮の大鳥居は、元々は北側を向いていたが、これは大陸からの使者を受け入れるためだったと考えられている。

江戸時代に入ると、北海道と大阪を結ぶ北前船 (きたまえぶね) が多く行き交った。敦賀は、消費地である大阪や京都へ陸路でアクセスしやすかったことから、北海道の昆布が敦賀で荷下ろしされるようになった。
幕末になり下関戦争が起きるなどして、下関から瀬戸内海を経由して大阪へ向かう海路のリスクが高まると、疋田船川 (ひきだふながわ) が開削され、琵琶湖を経由して、京都へ物資を輸送した。

交通アクセス

【バス】
【自動車】
  • 北陸自動車道「敦賀IC」から約10分
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出発地の最寄駅:

目的地:赤レンガ倉庫
敦賀港 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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