
1904年(明治37年)、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」が掲載され論議を呼ぶ。

時代はロマン主義から写実主義へと移り、発行部数が激減した明星は、1908年(明治41年)11月の第100号で廃刊となる。
その後、1921年(大正10年)11月、鉄幹らにより復刊され、1927年(昭和2年)4月までに全48号が刊行された。

時代はロマン主義から写実主義へと移り、発行部数が激減した明星は、1908年(明治41年)11月の第100号で廃刊となる。
その後、1921年(大正10年)11月、鉄幹らにより復刊され、1927年(昭和2年)4月までに全48号が刊行された。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)
与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻をはじめとし、寄稿した北原白秋、石川啄木、山川登美子らを明星派と呼ぶ。