西暦1187年 - ヒッティーンの戦い

十字軍の衰退
ヒッティーンの戦いの後のサラディン
ヒッティーンの戦いの後のサラディン
エジプトとシリアを統一したアイユーブ朝の創始者サラディンは、その勢いに乗じ、十字軍に対する反抗に出た。1187年、ヒッティーンの戦いで、ついにエルサレムを奪回した。ここにエルサレム王国は滅亡する。
この事態に対し、教皇グレゴリウス8世は、聖地奪還を目的とする新たな十字軍の派遣をイングランドやフランスに呼びかけた。イングランド王ヘンリー2世とフランス王フィリップ2世は領土問題を巡って戦争状態にあり、一度は要請を受けたものの、十字軍を派遣することができなかった。

そんな中、1189年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世が出陣する。第3回十字軍の始まりである。しかし、1190年、フリードリヒ1世はキリキアのサレフ川で溺死してしまい、第一陣は解散してしまう。

1191年、イングランド王リチャード1世とフランス王フィリップ2世が別々にパレスチナに到着。
サラディンは、リチャード1世の軍を迎え撃ち、アッコンは奪われたが、エルサレム占領は許さなかった。イェルサレム占領は許さなかった。
サラディンとリチャード1世の戦いは膠着状態に陥り、兵の士気が低下した。また、帰国したフィリップ2世がイギリス領を侵略しているという情報も入り、両者は休戦協定を結ぶ。

第3回十字軍の失敗を契機に、十字軍運動は後退していく。

この時代の世界

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(この項おわり)
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