
ムスタファ・ケマル
イギリス委任統治領パレスチナ
16世紀以来、パレスチナはオスマン帝国に統治されていたが、19世紀後半にシオニズム運動が起き、ヨーロッパからユダヤ人の流入が増えた。
第一次大戦後の1918年、パレスチナは大英帝国の委任統治下に入った。1922年、国際連盟の理事会で、イギリス委任統治領パレスチナが正式に認められ、エルサレムに首都が置かれた。
第一次大戦後の1918年、パレスチナは大英帝国の委任統治下に入った。1922年、国際連盟の理事会で、イギリス委任統治領パレスチナが正式に認められ、エルサレムに首都が置かれた。
この時代の世界
(この項おわり)
ムスタファ・ケマルはトルコ国民軍を率いて連合国への抵抗を続け、1920年には国民議会を招集し、スルタン制を廃止した。さらに、1923年、連合国とローザンヌ条約を締結し、トルコ共和国が成立。ケマルは初代大統領に就任した。