紀元前586年 - バビロン捕囚

新バビロニア王国がユダ王国を征服
バビロン捕囚
紀元前586年、ユダ王国の首都エルサレムが新バビロニア王国のネブカドネザル王によって征服され、住民のヘブライ人が捕虜としてバビロンに連行され、約50年間の捕囚生活を送ることになった。これを「バビロン捕囚」と呼ぶ。
紀元前538年、新バビロニアがアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世によって滅ぼされた際に解放され、パレスチナの地に戻った。
紀元前609年、メソポタミアとエジプトを統一支配していたアッシリアが滅び、新バビロニアのネブカドネザル王とエジプト第26王朝のネコ2世が古代オリエントの覇権をめぐって激しく対立した。
両国の中間パレスチナにあるユダ王国は、エジプト側に与したものの、新バビロニアに対しては貢納などを行った。
ヨキヤムはネコ王の後ろ盾で即位したものの、国民を重税や兵役で苦しめ、一方で宮殿建築を行い、預言者エレミヤにも非難され、国民の評判は悪かった。最期は、国内の新バビロン派に暗殺されたと伝えられている。
紀元前601年頃、エジプトへ侵攻した新バビロニア軍はネコ2世に撃退された。これを見たユダ王国は、新バビロニアへの貢納を停止した。ネブガドネザル王は激怒し、ユダ王国への侵攻を開始する。
そして紀元前586年、首都エルサレムが新バビロニアに征服された。

エルサレム神殿

ヘロデ神殿の復元ミニチュア
ヘロデ神殿の復元ミニチュア
紀元前1000年頃にヘブライ王国が成立すると、2代目のダビデ王によりエルサレムが都に定められた。3代目のソロモン王がエルサレム神殿を建設した。これを第一神殿と呼ぶ。

紀元前515年、エルサレム神殿が第一神殿とほぼ同じ場所に再建された。これを第二神殿と呼ぶ。
嘆きの壁
嘆きの壁
紀元前20年、ヘロデ大王によって神殿は大幅に拡張された。これをヘロデ神殿と呼ぶ。
紀元66年、ユダヤ戦争が勃発して、70年の包囲戦でエルサレムは陥落。ヘロデ大王の曾孫にあたるアグリッパ2世が神殿を破壊した。現在「嘆きの壁」と呼ばれる部分は、このヘロデ神殿を取り巻いていた外壁の西側の部分とされる。

この時代の世界

-725 -625 -525 -425 -586 -538 バビロン捕囚 -640 -598 ヨヤキム -650 -585 エレミヤ -640 -595 ネコ2世 -610 -562 ネブカドネザル -600 -529 キュロス2世 -500 -449 ペルシア戦争 -558 -486 ダレイオス1世 -519 -465 クセルクス1世 -479 サラミスの海戦 -624 -546 タレス -582 -496 ピタゴラス -524 -455 テミストクレス -500 -427 アルキダモス2世 -495 -429 ペリクレス -500 -422 クレオン -500 -422 ブラシダス -470 -413 ニキアス -469 -399 ソクラテス Tooltip

参考書籍

表紙 物語イスラエルの歴史
著者 高橋正男
出版社 中央公論新社
サイズ 新書
発売日 2008年01月25日頃
価格 1,078円(税込)
ISBN 9784121019318
イスラエルという民族名は、紀元前十三世紀のエジプトの碑文にはじめて登場する。文明が交錯する東地中海沿岸部では、さまざまな民族が興亡してきた。そのなかで、イスラエル(ユダヤ)民族はバビロニア捕囚やローマ帝国による迫害など、民族流亡の危機を乗り越え、第二次世界大戦後に再び自らの国を持つに至った。本書は、民族の祖とされるアブラハムから中東戦争後の現在まで、コンパクトに語る通史である。
 

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(この項おわり)
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