西暦1232年 - 御成敗式目

成文化された法の制定
北条泰時
北条泰時
1232年(貞永元年)、御成敗式目が制定された。

鎌倉幕府成立の当時には成文法が存在しなかった。承久の乱ののち、武士の所領関係の訴訟,特に地頭と領家の貴族社寺との争いが激増したため、成文化された法の制定が求められた。
この頃、朝廷では九条道家 (くじょう みちいえ) が有能な官人を登用し、道理に基づく公正な裁定を行うようになり、徳政を敷いていた。北条泰時 (ほうじょうやすとき) は、六波羅探題で朝廷を相手にする中で、この徳政を知り、政治に活かしていこうと考えた。

泰時は義時の跡を継いで執権に就任すると、法理に明るい太田康連 (おおたやすつら) らが加わり、武家社会の慣習法や源頼朝以来の幕府の先例を軸に、裁判の規準とすべきものをまとめて、武士に周知徹底させ、犯罪を未然に防止し裁判を公平かつ迅速に行わせる目的に御成敗式目を制定した。御成敗式目18条は女性への財産分与が認められていたり、8条では20年間の土地占有があると変換しなくてもいいという現代の民放に繋がる条文がある。
泰時は、鎌倉の都市整備も行った。

この時代の世界

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参考書籍

表紙 北条氏の時代
著者 本郷 和人
出版社 文藝春秋
サイズ 新書
発売日 2021年11月18日頃
価格 990円(税込)
ISBN 9784166613373
鎌倉幕府150年の歴史をつくった謎の一族、北条氏。 名もなき一介の一族はなぜ、日本の歴史を変えることができたのかーー。 北条氏の時代を象徴する「七人の得宗(当主)」を中心に読み解く。 第一章 北条時政 敵をつくらない陰謀術            ・鎌倉幕府の誕生            ・曾我兄弟の仇討ち事件          ・13人の合議制          ・ライバル梶原氏、比企氏を次々と滅ぼす 第二章 北条義時 「世論」を味方に朝廷を破る          ・幕府きっての武人、和田氏の滅亡          ・将軍実朝暗殺事件           ・後鳥羽上皇との直接対決、承久の乱 第三章 北条泰時 「先進」京都に学んだ式目制定          ・明恵との出会い          ・御成敗式目の制定          ・天皇の即位に介入 第四章 北条時頼 民を視野に入れた統治力          ・「撫民」とは何か          ・仏教を政治に生かす          ・三浦氏の滅亡          ・将軍を次々と取り換える 第五章 北条時宗、貞時 強すぎた世襲権力の弊害          ・二度の元寇のもたらしたもの          ・改革者、安達泰盛の登場          ・霜月騒動で安達氏が滅亡          ・御内人、平頼綱の専制 第六章 北条高時 得宗一人勝ち体制が滅びた理由          ・高時は本当に「暗愚」だったのか          ・後醍醐天皇はなぜ倒幕を考えたのか          ・幕府にもっとも近かった足利尊氏の裏切り          ・全国で根絶やしにされた北条一族
 
(この項おわり)
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