いい国(1192)つくろう鎌倉幕府

源頼朝(足利直義とも)

以仁王

石橋からの眺め
当初は優勢だった頼朝軍だったが、石橋山(現在の神奈川県小田原市)で大庭景親らの軍に破れ、相模湾を渡って安房国(現在の千葉県南部)へ逃れた。

伝説の岩屋 - 野島崎

木曽義仲
その頃、源義仲(木曽義仲)は信濃や甲斐で勢力を伸ばしていた。
1183年(寿永2年)7月、平氏が京を見捨てて脱出し、代わりに源義仲が京都に入った。こうして、地方の荘園は、平氏、源義仲、源頼朝の支配下に入り、京の物資・食料は欠乏していった。
一方の源頼朝も、依然として謀反人のままで、官位と名誉の回復を望んでいた。また、京都入りも源義仲に先んじられてしまった。
1183年(寿永2年)7月、平氏が京を見捨てて脱出し、代わりに源義仲が京都に入った。こうして、地方の荘園は、平氏、源義仲、源頼朝の支配下に入り、京の物資・食料は欠乏していった。
一方の源頼朝も、依然として謀反人のままで、官位と名誉の回復を望んでいた。また、京都入りも源義仲に先んじられてしまった。

後白河法皇

壇ノ浦古戦場址
1184年(元暦元年)10月、源頼朝は公文所(のちの政所)、問注所を開き、鎌倉政権を形作っていった。なお、この時点では幕府という組織や呼び名はなく、鎌倉に集まった東国武士集団に過ぎなかった。

1185年(元暦2年)3月、壇ノ浦の戦いで平氏が滅ぶと、後白河法皇は頼朝に勅許を発し、全国の守護・地頭の任命権を与えた。

1185年(元暦2年)3月、壇ノ浦の戦いで平氏が滅ぶと、後白河法皇は頼朝に勅許を発し、全国の守護・地頭の任命権を与えた。
1185年(元暦2年)4月、平家追討で義経の補佐を務めた梶原景時からの弾劾状を皮切りに、義経の処罰を求める声が上がり、義経は鎌倉へ帰参できないまま行方をくらました。1188年(文治4年)2月、義経が欧州に潜伏していることが発覚し、頼朝の申請を受けた朝廷が、藤原基成と藤原泰衡に義経追討宣旨をくだし、義経は自害に追い込まれた。
1189年(文治5年)7月、源頼朝は義経討伐を言いがかりに、奥州へ出兵。奥州藤原氏を滅ぼす。
1190年(建久元年)11月、後白河法皇に拝謁した源頼朝は、征夷大将軍より地位の高い権大納言兼右近衛大将に任じられた。
1192年(建久3年)3月、後白河法皇が崩御。7月、後鳥羽天皇によって源頼朝は征夷大将軍に任ぜられた。

以上のような経緯から、最近の歴史の教科書では、1192年(建久3年)を鎌倉幕府のはじまりと明記しなくなった。1183年(寿永2年)から1192年の間に幕府が成立したと考えられている。
1189年(文治5年)7月、源頼朝は義経討伐を言いがかりに、奥州へ出兵。奥州藤原氏を滅ぼす。
1190年(建久元年)11月、後白河法皇に拝謁した源頼朝は、征夷大将軍より地位の高い権大納言兼右近衛大将に任じられた。
1192年(建久3年)3月、後白河法皇が崩御。7月、後鳥羽天皇によって源頼朝は征夷大将軍に任ぜられた。

以上のような経緯から、最近の歴史の教科書では、1192年(建久3年)を鎌倉幕府のはじまりと明記しなくなった。1183年(寿永2年)から1192年の間に幕府が成立したと考えられている。
この時代の世界
参考書籍
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北条氏の時代 | ||
著者 | 本郷 和人 | ||
出版社 | 文藝春秋 | ||
サイズ | 新書 | ||
発売日 | 2021年11月18日頃 | ||
価格 | 990円(税込) | ||
ISBN | 9784166613373 | ||
鎌倉幕府百五十年の歴史をつくった謎の一族、北条氏。名もなき一介の武士の一族が、なぜ政権を奪取し日本を動かし続け、最後は族滅したのか。時政、義時、泰時…、歴代の北条家当主のリーダーシップから読み解く鎌倉通史の決定版。 | |||
![]() |
いつのまにか変わってる地理・歴史の教科書 | ||
著者 | 加藤ジェームズ | ||
出版社 | マイナビ出版 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2008年08月 | ||
価格 | 1,430円(税込) | ||
ISBN | 9784839928704 | ||
![]() |
最驚!ガッツ伝説 | ||
著者 | Flash Exciting編集部/ガッツ石松 | ||
出版社 | 光文社 | ||
サイズ | 単行本 | ||
発売日 | 2004年07月 | ||
価格 | 1,047円(税込) | ||
ISBN | 9784334974565 | ||
笑撃エピソード完全収録。ガッツ本人の解説付き。 | |||
(この項おわり)
だが実際には、これ以前から頼朝による統治機構が働いていたという説が有力で、現在は鎌倉幕府の始まりの年を1192年(建久3年)と特定はしていない。
ちなみに、ガッツ石松の伝説のひとつとして、「よい国つくろう鎌倉幕府」がある。これによると、はるか未来の4192年(令和2174年)に鎌倉幕府が始まるようである(笑)。