西暦1206年 - モンゴル帝国の成立

中国北方民族の統一
チンギス・ハン
1206年、テムジンは、分裂と抗争を繰り広げていたモンゴル諸部族を統合し、チンギス・ハンを名乗り、モンゴル帝国を成立させる。

1171年、テムジンの父親はタタル族によって毒殺した。1196年、テムジンはタタル族の討伐を開始する。
1202年、タタル族を滅ぼしたテムジンはモンゴル族のリーダーになる。さらに1206年、草原の諸部族を統一し、モンゴルの族長会議であるクリルタイを開いてチンギス・ハンに改名する。
1211年、チンギス・ハンは中国北部の金への大遠征に出る。鉄製の武器と騎馬による機動力でモンゴル帝国は金を圧倒。1215年5月、ついに金の都・中都が陥落する。

この頃、ユーラシア大陸中央部でホラズム王国が急成長を遂げていた。
1219年、チンギス・ハンはホラズム攻略に着手。1220年3月にはサマルカンドを陥落させ、まもなくホラズム王国は滅んだ。
1225年、チンギス・ハンはモンゴルへ帰国する。

チンギス・ハンの死後、後を継いだ三男のオゴタイは、1234年に金を滅ぼした。また、オゴタイの甥バトゥは、ロシアの大部分を征服し、1241年にはワールシュタットの戦いでポーランド・ドイツ連合軍を撃破する。しかし、オゴタイが没したため、ボルガ川まで兵を引き、キプチャク・ハン国を建国する。

ちなみに、ジョン王は欠地王の別名がある通り、イギリス史上最も評判が悪い国王である。フランス王フィリップ2世に破れ、フランス内の領土の大部分を失った。また、教皇インノケンティウス3世に破門されるなど、失政に次ぐ失政で、ついに貴族から大憲章を突き

オゴタイのもう一人の甥であるフラグは、1285年、イスラムのアッバース朝を滅亡させ、イル・ハン国を建国する。

この時代の世界

1075 1125 1175 1225 1275 1206 モンゴル帝国の成立 1167 1227 チンギス・ハン 1186 1241 オゴタイ 1207 1255 バトゥ 1241 ワールシュタットの戦い 1190 1244 耶律楚材 1130 1200 朱熹(朱子) 1181 ジャヤーヴァルマン7世が即位 1181 1218 ジャヤーヴァルマン7世 1243 キプチャク汗国の成立 1192 源頼朝、征夷大将軍に任官 1147 1199 源頼朝 1182 1204 源頼家 1163 1224 北条義時 1192 1219 源実朝 1200 1219 公暁 1180 1239 後鳥羽天皇 1183 1242 北条泰時 1173 1262 親鸞 1219 源実朝の暗殺 1221 承久の乱 1118 1181 平清盛 1118 1190 西行 1122 1187 藤原秀衡 1143 1165 二条天皇 1156 保元の乱 1142 1176 平滋子 1138 1179 平重盛 1127 1192 後白河天皇 1159 平治の乱 1167 音戸の瀬戸の開削 1154 1184 源義仲 1164 1176 六条天皇 1161 1181 高倉天皇 1155 1189 藤原泰衡 1133 1212 法然 1159 1189 源義経 1133 1215 北条時政 1141 1215 栄西 1179 治承三年の政変 1178 1185 安徳天皇 1152 1214 平徳子 1185 壇ノ浦の戦い 1157 1225 北条政子 1182 ノートルダム大聖堂の完成 1167 1216 ジョン 1215 大憲章(マグナ・カルタ) 1181 1252 プラノ・カルピニ 1194 1250 フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝) 1165 1223 フィリップ2世 1209 ケンブリッジ大学の創設 1125 1218 ジャヤーヴァルマン7世 1171 アイユーブ朝が成立 1187 ヒッティーンの戦い 1177 1225 ジョチ 1186 1241 オゴタイ 1200 1250 トゥーラーン・シャー 1243 キプチャク汗国の成立 Tooltip

参考書籍

表紙 チンギス・カンとモンゴル帝国
著者 ジャン・ポール・ルー/田辺希久子
出版社 創元社(大阪)
サイズ 全集・双書
発売日 2003年10月
価格 1,512円(税込)
rakuten
ISBN 9784422211718
 
(この項おわり)
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