
1211年、チンギス・ハンは中国北部の金への大遠征に出る。鉄製の武器と騎馬による機動力でモンゴル帝国は金を圧倒。1215年5月、ついに金の都・中都が陥落する。

この頃、ユーラシア大陸中央部でホラズム王国が急成長を遂げていた。
1219年、チンギス・ハンはホラズム攻略に着手。1220年3月にはサマルカンドを陥落させ、まもなくホラズム王国は滅んだ。
1225年、チンギス・ハンはモンゴルへ帰国する。

チンギス・ハンの死後、後を継いだ三男のオゴタイは、1234年に金を滅ぼした。また、オゴタイの甥バトゥは、ロシアの大部分を征服し、1241年にはワールシュタットの戦いでポーランド・ドイツ連合軍を撃破する。しかし、オゴタイが没したため、ボルガ川まで兵を引き、キプチャク・ハン国を建国する。

オゴタイの時代、モンゴル帝国の交通通信路が整備され、ジャムチ(站赤)と呼ばれた。主要道路に10里ごとに宿駅が置かれ、人馬を提供した。ジャムチを利用する公用旅行者には通行手形が与えられ、20世紀にシベリア鉄道が開通するまで、ユーラシアで最速の交通通信路であった。

オゴタイのもう一人の甥であるフラグは、1285年、イスラムのアッバース朝を滅亡させ、イル・ハン国を建国する。

この頃、ユーラシア大陸中央部でホラズム王国が急成長を遂げていた。
1219年、チンギス・ハンはホラズム攻略に着手。1220年3月にはサマルカンドを陥落させ、まもなくホラズム王国は滅んだ。
1225年、チンギス・ハンはモンゴルへ帰国する。

チンギス・ハンの死後、後を継いだ三男のオゴタイは、1234年に金を滅ぼした。また、オゴタイの甥バトゥは、ロシアの大部分を征服し、1241年にはワールシュタットの戦いでポーランド・ドイツ連合軍を撃破する。しかし、オゴタイが没したため、ボルガ川まで兵を引き、キプチャク・ハン国を建国する。

オゴタイの時代、モンゴル帝国の交通通信路が整備され、ジャムチ(站赤)と呼ばれた。主要道路に10里ごとに宿駅が置かれ、人馬を提供した。ジャムチを利用する公用旅行者には通行手形が与えられ、20世紀にシベリア鉄道が開通するまで、ユーラシアで最速の交通通信路であった。

オゴタイのもう一人の甥であるフラグは、1285年、イスラムのアッバース朝を滅亡させ、イル・ハン国を建国する。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)
1171年、テムジンの父親はタタル族によって毒殺した。1196年、テムジンはタタル族の討伐を開始する。
1202年、タタル族を滅ぼしたテムジンはモンゴル族のリーダーになる。さらに1206年、草原の諸部族を統一し、モンゴルの族長会議であるクリルタイを開いてチンギス・ハンに改名する。