西暦1271年 - 元の建国

モンゴル人による中国統一
フビライ
フビライ
モンゴル帝国はチンギス・ハンの遺志にしたがって、三人の息子に分封された――大ハン国、オゴタイ・ハン国、チャガタイ・ハン国である。
チンギス・ハンの孫のフビライが第5代皇帝に就く頃には、継承権をめぐるハン国同士の内紛が激しくなり、フビライが支配する宗家から完全に独立する。
1271年、フビライは首都をカラコルムから大都 (だいと) (現在の北京)に移し、国号も中国風に (げん) とあらためた。
1279年、フビライは南宋を滅ぼし中国を統一する。

また、1274年の文永の役1281年の弘安の役の二度にわたり日本へ遠征するが、いずれも失敗する。

フビライは、1275年に来訪したイタリアの商人マルコ・ポーロを気に入り、国内の使節に起用するなど20年以上にわたり元に滞在させた。イタリアに帰国後、マルコ・ポーロは「東方見聞録」を出版することになる。

このころ、陸海に交通網がはりめぐらされて、ユーラシアははじめてひとつの世界となった。
東西の時間的距離が狭まり、外交が密になって、政治経済が相互に影響するようになる。
マルコ・ポーロ以外にもカルピニ、ソーマなど、広く世界を旅する人物も現れた。この状況をパクス・モンゴリカという。

この時代の世界

1175 1200 1225 1250 1275 1300 1325 1350 1271 元の建国 1215 1294 フビライ 1254 1324 マルコ・ポーロ 1206 モンゴル帝国の成立 1241 ワールシュタットの戦い 1279 ラームカムヘーンが即位 1239 1299 ラームカムヘーン 1241 ワールシュタットの戦い 1250 マンスーラの戦い 1223 1277 バイバルス 1243 キプチャク汗国の成立 1260 イル汗国の成立 1234 1282 アバカ 1249 1318 ラシード・アッディーン 1299 オスマン帝国建国 1254 1324 マルコ・ポーロ 1241 ワールシュタットの戦い 1214 1270 ルイ9世 1225 1274 トマス・アキナス 1214 1294 ロジャー・ベーコン 1273 ルドルフ1世の即位 1218 1291 ルドルフ1世 1235 1303 ボニファティウス8世 1222 1282 日蓮 1239 1289 一遍 1251 1284 北条時宗 1274 文永の役 1281 弘安の役 1225 1274 トマス・アキナス Tooltip
(この項おわり)
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