ルドルフ1世
1273年のヨーロッパ
1250年、神聖ローマ皇帝コンラート4世が病死し、100年以上続いたシュタウフェン朝は断絶した。
神聖ローマ皇帝は、実体としてはドイツ国王であり、ドイツ諸侯による選挙王制で選出されることになった。これは、シュタウフェン朝の時代に強大になりすぎた国王権を抑制するために、世襲制ではなく、選挙王制に切り替えたのである。
新皇帝に選ばれたのは非ドイツ人のオランダ伯ウィルヘルムであった。その後もイギリスやフランスの介入によって皇帝が選ばれ、ドイツの支配力は弱まった。

1273年に即位したルドルフ1世は、1278年、ウィーンを占拠していたボヘミア王オタカル2世と戦い、これに勝利する。1282年、ルドルフ1世はウィーンに拠点を移した。ウィーンは、20世紀までハプスブルク家の本拠となる。
拠点を移したとはいえ、ルドルフは中世ヨーロッパ王権の基本スタイルである巡幸王権を踏襲した。国王は、特定の首都を置くことなく、各地を移動しながら諸勢力と個別に関係を結びながら統治するというもので、のちに「王は鞍の上から統治した」と呼ばれた。

1298年、ルドルフ1世の子、アルブレヒト1世が帝位を継ぐが、その死後、しばらく帝位から離れ、ハプスブルク家の勢力は一時衰える。
その間に皇帝選出権を持つ諸侯が7つに搾られ、1356年、カール4世の金印勅書によって諸侯と皇帝権の調停がはかられた。
1438年、ハプスブルク家のアルブレヒト2世が即位すると、ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝を世襲していくようになる。
神聖ローマ皇帝は、実体としてはドイツ国王であり、ドイツ諸侯による選挙王制で選出されることになった。これは、シュタウフェン朝の時代に強大になりすぎた国王権を抑制するために、世襲制ではなく、選挙王制に切り替えたのである。
新皇帝に選ばれたのは非ドイツ人のオランダ伯ウィルヘルムであった。その後もイギリスやフランスの介入によって皇帝が選ばれ、ドイツの支配力は弱まった。
1273年に即位したルドルフ1世は、1278年、ウィーンを占拠していたボヘミア王オタカル2世と戦い、これに勝利する。1282年、ルドルフ1世はウィーンに拠点を移した。ウィーンは、20世紀までハプスブルク家の本拠となる。
拠点を移したとはいえ、ルドルフは中世ヨーロッパ王権の基本スタイルである巡幸王権を踏襲した。国王は、特定の首都を置くことなく、各地を移動しながら諸勢力と個別に関係を結びながら統治するというもので、のちに「王は鞍の上から統治した」と呼ばれた。
1298年、ルドルフ1世の子、アルブレヒト1世が帝位を継ぐが、その死後、しばらく帝位から離れ、ハプスブルク家の勢力は一時衰える。
その間に皇帝選出権を持つ諸侯が7つに搾られ、1356年、カール4世の金印勅書によって諸侯と皇帝権の調停がはかられた。
1438年、ハプスブルク家のアルブレヒト2世が即位すると、ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝を世襲していくようになる。
この時代の世界
参考書籍
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ハプスブルク帝国 | ||
| 著者 | 岩崎 周一 | ||
| 出版社 | 講談社 | ||
| サイズ | 新書 | ||
| 発売日 | 2017年08月17日頃 | ||
| 価格 | 1,430円(税込) | ||
| ISBN | 9784062884426 | ||
| 弱小城主から元祖「日の沈まぬ帝国」の皇帝へ。広大な版図と多種多様な民族を支配下に置き、千年の命脈を保った世界史上ユニークな「帝国」。奇人皇帝ルードルフ二世から悲劇の皇妃エリーザベトまで。音楽の都、世紀末芸術の都としてのウィーンから、サラエヴォの銃声に始まり、敗戦と帝国瓦解で終わった第一次世界大戦まで。様々な人物とエピソードに彩られた歴史を一冊の新書ですべて描く。 1273年、ドイツ南西部の雄として知られたルードルフ四世が、ドイツ王に選出されます。各国の相反する利害関係からの、「より悪くない選択」としての選出でした。しかしこの偶然が、その後の「ハプスブルク帝国」大発展の基礎となりました。 ヨーロッパ列強との婚姻関係がもたらした偶然も幸いして、帝国の版図は拡大の一途をたどります。なかでもスペインを領有したことで、その領土は中南米そしてアジアにも及ぶ広大なものとなり、「日の沈むところなき帝国」とまで呼び習わされるに至りました。19世紀のイギリスではなく、この時期のハプスブルク帝国こそが、元祖「日の沈むところなき帝国」だったのです。 その後も二度にわたるオスマン帝国のウィーン包囲の脅威をはねのけ、オスマンからの失地回復にも成功するなど、ヨーロッパの大国としての地位は維持されます。しかし19世紀になると徐々にフランス、イギリスなどのより「近代的」な国々の後塵を拝するようになります。そして自国の皇位継承者暗殺を発端として勃発した第一次世界大戦での敗北により、ついに終焉の瞬間を迎えます。 本書は、現在のオーストリア、ハンガリー、チェコ、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナなどに相当する地域を中心とする広大な版図と、そこに住まう多種多様な民族を支配下に置き、曲がりながりにも1000年の命脈を保った世界史上にもユニークな「帝国」の歴史を一冊の新書で描ききった意欲作です。 はじめに 第一章 勃興 第二章 オーストリアの地で 第三章 「さらに彼方へ」 第四章 「ドナウ君主国」の生成 第五章 主権国家体制の下で 第六章 「何事も人民のために、何事も人民によらず」 第七章 秩序と自由 第八章 「みな一致して」 第九章 ハプスブルク神話 あとがき | |||
(この項おわり)


ルドルフの外交政策と軍事政策は成功を収め、混乱の続いていた帝国に20年近い平和をもたらした。一方、ルドルフは選帝侯たちの思惑に反し、ハプスブルク家の富と権力を増やしていった。
1806年、ナポレオン1世によるライン同盟によって神聖ローマ帝国が瓦解した後も、ハプスブルク家はオーストリア帝室として存続してゆく。