西暦1273年 - ルドルフ1世の即位

大空位時代の終了とハプスブルク家の創始
ルドルフ1世
ルドルフ1世
1273年、国王選挙において選帝侯たちはハプスブルク伯ルドルフを神聖ローマ皇帝に推し、ルドルフ1世として即位。1254年から続いた大空位時代が終わる。

ルドルフの外交政策と軍事政策は成功を収め、混乱の続いていた帝国に20年近い平和をもたらした。一方、ルドルフは選帝侯たちの思惑に反し、ハプスブルク家の富と権力を増やしていった。

1806年、ナポレオン1世によるライン同盟によって神聖ローマ帝国が瓦解した後も、ハプスブルク家はオーストリア帝室として存続してゆく。
1273年のヨーロッパ
1273年のヨーロッパ
1250年、神聖ローマ皇帝コンラート4世が病死し、100年以上続いたシュタウフェン朝は断絶した。
神聖ローマ皇帝は、実体としてはドイツ国王であり、ドイツ諸侯による選挙王制で選出されることになった。これは、シュタウフェン朝の時代に強大になりすぎた国王権を抑制するために、世襲制ではなく、選挙王制に切り替えたのである。
新皇帝に選ばれたのは非ドイツ人のオランダ伯ウィルヘルムであった。その後もイギリスやフランスの介入によって皇帝が選ばれ、ドイツの支配力は弱まった。

1273年に即位したルドルフ1世は、1278年、ウィーンを占拠していたボヘミア王オタカル2世と戦い、これに勝利する。1282年、ルドルフ1世はウィーンに拠点を移した。ウィーンは、20世紀までハプスブルク家の本拠となる。
拠点を移したとはいえ、ルドルフは中世ヨーロッパ王権の基本スタイルである巡幸王権 (じゅんこうおうけん) を踏襲した。国王は、特定の首都を置くことなく、各地を移動しながら諸勢力と個別に関係を結びながら統治するというもので、のちに「王は鞍の上から統治した」と呼ばれた。

1298年、ルドルフ1世の子、アルブレヒト1世が帝位を継ぐが、その死後、しばらく帝位から離れ、ハプスブルク家の勢力は一時衰える。
その間に皇帝選出権を持つ諸侯が7つに搾られ、1356年、カール4世の金印勅書によって諸侯と皇帝権の調停がはかられた。
1438年、ハプスブルク家のアルブレヒト2世が即位すると、ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝を世襲していくようになる。

この時代の世界

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参考書籍

表紙 ハプスブルク帝国
著者 岩崎 周一
出版社 講談社
サイズ 新書
発売日 2017年08月17日
価格 1,080円(税込)
rakuten
ISBN 9784062884426
1000年の歴史が、これ1冊で、わかる!!!図版多数。新知見もふんだんに取り入れた決定版。
 
(この項おわり)
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