
ラームカムヘーン
スコータイ朝

スコータイ遺跡
タイ族は四川や雲南から南下し、13世紀頃までクメール王朝の支配下にあった。ジャヤーヴァルマン7世が死去すると、領主のバーンクラーンハーオがクメール人勢力を追い出し、1257年(康元2年)頃、スコータイを都としてスコータイ王朝を起こし、シーインタラーティットとして即位した。タイ族最初の王朝とされる。スコータイ王朝の領域は、現在のタイ北部の南半分である。

スコータイ遺跡
スコータイ王朝はタイ仏教の黄金期で、歴代王はポークン(個人的な友情で治める君主、人民を保護し、悪を適切に廃する父親のような人)と呼ばれた。
この時代の世界
(この項おわり)
ラームカムヘーンは国民全体の生活に気を配り、国民は民族に関係無く利益を享受したという。
また、マレー半島やカンボジアに領土を広げ、スコータイ朝の最盛期を現出させた。
タイ文字を制定するなど、文化面の功績も大きい。
タイ史上最高の王(タイ三大王)の1人に数えられ、大王(マハーラート)の尊称で呼ばれる