西暦1396年 - ニコポリスの戦い

オスマン帝国によるバルカン進出
ニコポリスの戦い、ジャン・フロワサール(1398年)
ニコポリスの戦い、ジャン・フロワサール(1398年)
1299年、ルーム・セルジューク朝の衰退による群雄割拠の中で台頭したトルコ人のオスマン・ベイ(オスマン1世)が独立した。
オスマン帝国は、14世紀中盤にはバルカン半島に進出し、1389年、コソヴォの戦いでバルカン諸国連合軍を破り、キリスト教圏への脅威となった。
1396年、ドナウ中流のニコポリスで、バヤジット1世がイェニチェリ軍団とシパーヒー(騎兵)部隊を従え、ハンガリー王ジギスムントの率いるキリスト教軍に大勝し、バルカン支配を確実にした(ニコポリスの戦い)。
このとき、バヤジット1世は、アッバース朝のカリフからスルタンの称号を贈られた。オスマン帝国はスンナ派を保護する宗教国家となった。

しかし、1402年、アンカラの戦いでティムールに敗れ、バルカン侵攻を一時後退させることとなった。
オスマン帝国は体勢を立て直し、1453年、メフメト2世がコンスタンティノープルを占領し、395年年から続いた東ローマ帝国を滅ぼす

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(この項おわり)
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