西暦1728年 - 恒星の年周光行差の観測

光の速度を予測
ジェームズ・ブラッドリー
ジェームズ・ブラッドリーは、1725年から、りゅう座γ星の年周視差の観測を続けた。恒星は地球の公転によって位置がズレたが、それは予想した値より大きいものだった。1728年、彼は、この現象が光速と地球の公転速度によるもの(年周光行差)であることに気づいた。
年周視差の観測に初めて成功するのは、これより100年以上の後、1838年にドイツの天文学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルである。
ブラッドリーは、りゅう座γ星の年周視差を求め、その値から、太陽から地球まで光がやってくるのに要する時間は8分12秒と計算した。この時代、地球の公転半径が分かっていなかったため、光の速度を求めることはできなかったが、もし公転半径が分かっていれば、光速度は秒速304,000kmと計算できたはずである。現在測定されている光速度は秒速299,792kmだ。

1742年、ブラッドリーはエドモンド・ハリーの後任としてグリニッジ天文台の3代目台長に就任した。
1748年に章動を発見し、位置天文学の基礎を築いた。

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