グリニッジ天文台創設

グリニッジ天文台
グリニッジ天文台では13時になると屋根に刺さってる赤い玉が「実は私動くんだよね…みんな知らないと思うけど…」みたいな静かさで上がったり下がったりしたりする。地味すぎて地球の歩き方にすら載ってない。行く方はぜひ彼女の勇姿を見届けてあげてほしい pic.twitter.com/DjcXcieF0r
— KuKu (@famima1515) 2019年2月21日
スピノザ『エチカ』

スピノザ
1632年、スピノザはオランダ・アムステルダムの裕福のユダヤ人貿易商の家庭に生まれた。幼い頃から学問の才能をみせ、ユダヤ教団の学校でヘブライ語と聖典を学び、カバラの神秘思想にも接した。しかし、デカルトなどの西欧思想にアタ向き、23歳の時、ユダヤ教団から破門されてしまう。
その後、オランダ各地を転々とするなか、レンズ磨きをしながら思索にふけり、執筆活動を続けた。彼が磨いたレンズは精度が高く、土星の輪を発見したホイヘンスや、画家フェルメールの手にも渡ったと伝えられている。

スピノザの哲学は、生涯一貫して、神すなわち自然 (deus sive natura) という立場をとっていた。万物は、精神も物体も全てが神の現れという汎神論であり、決定論者でもあった。
この哲学は、ユダヤ教にしてもキリスト教にしても受け容れがたいものであり、スピノザは無神論者として排斥された。

スピノザは次のような言葉を残している。
その後、オランダ各地を転々とするなか、レンズ磨きをしながら思索にふけり、執筆活動を続けた。彼が磨いたレンズは精度が高く、土星の輪を発見したホイヘンスや、画家フェルメールの手にも渡ったと伝えられている。

スピノザの哲学は、生涯一貫して、神すなわち自然 (deus sive natura) という立場をとっていた。万物は、精神も物体も全てが神の現れという汎神論であり、決定論者でもあった。
この哲学は、ユダヤ教にしてもキリスト教にしても受け容れがたいものであり、スピノザは無神論者として排斥された。

スピノザは次のような言葉を残している。
- 運命とは受け入れるべきものではない。それは自ら選び創り出すものだ。
- 自分にはできないと思うたいていの出来事は、できないのではなく、本当はやりたくないだけなのだ。
- ありあまるほど自由な時間のある人間は、たいてい悪いことを考えるものである。
- 平和とは戦争がない状態をいうのではない。平和な状態とは徳のあることであり、心の安定であり、親切な行為であり、信頼と正義があることである。
参考書籍
この時代の世界
(この項おわり)
天文台は1675年に完成し、初代天文台長にジョン・フラムスティードが就任した。
1884年には、天文台の大子午環が経度の原点に決められた。
長年にわたり経度および時刻の基準(グリニッジ標準時)点として観測を行ってきたが、1990年にはケンブリッジに移転し、1998年10月に天文台としての機能を終えた。現在は博物館となっている。