人並みに (1732) 食べたい享保の大飢饉

享保20年正月、昆陽は九州からサツマイモの種芋1500個を取り寄せた。しかし、江戸の寒さのために3分の2を腐らせてしまう。
春になり暖かくなったタイミングを見計らい、残った500個を小石川薬草園に植えた。そして11月に4400個の収穫を上げた。

この栽培方法は本になり、やがて全国でサツマイモが栽培されるようになる。
春になり暖かくなったタイミングを見計らい、残った500個を小石川薬草園に植えた。そして11月に4400個の収穫を上げた。

この栽培方法は本になり、やがて全国でサツマイモが栽培されるようになる。
この時代の世界
(この項おわり)
江戸で寺子屋を開いていた青木昆陽は、飢饉対策として九州でつくられていたサツマイモに注目した。
これが江戸町奉行の大岡忠相の目に止まり、昆陽は幕府の飢饉対策プロジェクトのリーダーとなった。