西暦1756年 - 七年戦争

植民地戦争でも英仏が衝突
ロイテンの戦いの夜のフリードリヒ大王
オーストリア継承戦争の終結後、オーストリア国王マリア・テレジアは娘のマリー・アントワネットルイ16世に嫁がせ、ブルボン朝との対立を解消した(外交革命)。
そして、失われたシュレジエン地方を奪回しようと、1756年(宝暦6年)、プロイセンとの間に七年戦争を起こす。プロイセンはイギリスと結び、結局オーストリアが敗北する。
1763年(宝暦13年)のフベルトゥスブルク講和条約によってシュレジエン地方がプロイセン領と確定する。

七年戦争は、フランスとイギリスの植民地戦争の側面もあった。
フランスは、ムガル帝国に進出したイギリスに対し、1757年(宝暦7年)のプラッシーの戦いで敗れる。
また、1755年(宝暦5年)に北米ではじまったフレンチ・インディアン戦争でもイギリスに敗れる。
こうして、1763年(宝暦13年)にパリで開かれた講和条約では、イギリスは北米植民地とインドの支配権を獲得する。

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(この項おわり)
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