
レオンハルト・オイラー
1714年、ロジャー・コーツが、オイラーの公式の原型である \[ log(cos(\theta) + i\ sin(\theta)) = i\ \theta \] を発見する。
1740年頃、スイス生まれのレオンハルト・オイラーは、この公式を指数関数と三角関数の級数展開を比較することによる証明したとされている。その論文が出版されたのが1748年のことである。
この証明がオイラー単独の業績であったかどうかは、現在も議論がある。とはいえ、オイラーは、数学、物理学、天文学の発展に多大なる貢献をしている。

オイラーは、1707年、スイスに生まれ、バーゼル大学で学んだ。1727年、サンクトペテルブルクの科学学士院に赴任し、ベルヌーイに才能を見いだされる。
彼は、プロシアのフリードリヒ2世、ロシアのエカテリーナ1世の知遇を得て、驚異的なペースで、数学、物理学、天文学の論文を量産した。生前に発表されたものが500、死後刊行されたものを含めると900にも達する。1911年から全集として刊行され続けているが、100年以上たっても完結していない。
こうした無理な仕事がたたったのか、1735年に右目を失明してしまう。
それでも仕事の手を止めることはなく、フリードリヒ2世は彼を「数学のサイクロプス(単眼の巨人)」と賞賛した。

オイラーが1737年に発見したオイラー積は、\[ \frac{2^2}{2^2-1} \times \frac{3^2}{3^2-1} \times \frac{4^2}{4^2-1} \times \frac{7^2}{7^2-1} \times \frac{11^2}{11^2-1} \times ... = \frac{\pi}{6} \] という素数が入った無限級数が円周率に収束することだった。当時、素数は無意味なものと考えられていたが、これが最も美しい基本定数である \( \pi \) に結びついたことは、驚きをもって迎えられ、素数への関心が高まった。
その後、1792年にガウスは素数と自然対数の底 \( e \) の関係を明らかにし、1859年にリーマンはゼータ関数の零点が直線上に並ぶだろうというリーマン予想を発表した。2000年にクレイ数学研究所がリーマン予想の証明に100万ドルの賞金を賭けたが、2023年12月時点で証明はなされていない。

ライプニッツによって定義された関数を初めて \( y = f(x) \) の形で表現したのもオイラーである。これにより、とくに物理学の分野で関数が利用しやすくなった。
オイラーの微分方程式、オイラーの定数、オイラーのφ関数、オイラーの多面体定理など、彼の名を冠した数式や定理は枚挙にいとまがない。

オイラーと、イタリア出身の数学者で天文学者のラグランジュは、天体力学における三体問題の特殊解としてのラグランジュ点を発見した。1760年頃、オイラーがトロヤ点以外を発見し、その後、ラグランジュがトロヤ点を発見した。
実際、太陽系におけるトロヤ点には、トロヤ群と呼ばれる小惑星群がとどまっている。
また、ラグランジュ点はスペースコロニーを建設する軌道の候補でもある。ジェラルド・オニールはコロニーを地球と月のラグランジュ点に作ることでコロニーの軌道を安定させるというアイデアを述べている。

1783年9月7日、オイラーは弟子を相手に、発見されたばかりの天王星の軌道計算の話をしていたが、突然、息を引き取ったという。呼吸するように計算したオイラーが計算を止めたのは、彼が生きるのを止めたときであった。
1740年頃、スイス生まれのレオンハルト・オイラーは、この公式を指数関数と三角関数の級数展開を比較することによる証明したとされている。その論文が出版されたのが1748年のことである。
この証明がオイラー単独の業績であったかどうかは、現在も議論がある。とはいえ、オイラーは、数学、物理学、天文学の発展に多大なる貢献をしている。

オイラーは、1707年、スイスに生まれ、バーゼル大学で学んだ。1727年、サンクトペテルブルクの科学学士院に赴任し、ベルヌーイに才能を見いだされる。
彼は、プロシアのフリードリヒ2世、ロシアのエカテリーナ1世の知遇を得て、驚異的なペースで、数学、物理学、天文学の論文を量産した。生前に発表されたものが500、死後刊行されたものを含めると900にも達する。1911年から全集として刊行され続けているが、100年以上たっても完結していない。
こうした無理な仕事がたたったのか、1735年に右目を失明してしまう。
それでも仕事の手を止めることはなく、フリードリヒ2世は彼を「数学のサイクロプス(単眼の巨人)」と賞賛した。

オイラーが1737年に発見したオイラー積は、\[ \frac{2^2}{2^2-1} \times \frac{3^2}{3^2-1} \times \frac{4^2}{4^2-1} \times \frac{7^2}{7^2-1} \times \frac{11^2}{11^2-1} \times ... = \frac{\pi}{6} \] という素数が入った無限級数が円周率に収束することだった。当時、素数は無意味なものと考えられていたが、これが最も美しい基本定数である \( \pi \) に結びついたことは、驚きをもって迎えられ、素数への関心が高まった。
その後、1792年にガウスは素数と自然対数の底 \( e \) の関係を明らかにし、1859年にリーマンはゼータ関数の零点が直線上に並ぶだろうというリーマン予想を発表した。2000年にクレイ数学研究所がリーマン予想の証明に100万ドルの賞金を賭けたが、2023年12月時点で証明はなされていない。

ライプニッツによって定義された関数を初めて \( y = f(x) \) の形で表現したのもオイラーである。これにより、とくに物理学の分野で関数が利用しやすくなった。
オイラーの微分方程式、オイラーの定数、オイラーのφ関数、オイラーの多面体定理など、彼の名を冠した数式や定理は枚挙にいとまがない。

オイラーと、イタリア出身の数学者で天文学者のラグランジュは、天体力学における三体問題の特殊解としてのラグランジュ点を発見した。1760年頃、オイラーがトロヤ点以外を発見し、その後、ラグランジュがトロヤ点を発見した。
実際、太陽系におけるトロヤ点には、トロヤ群と呼ばれる小惑星群がとどまっている。
また、ラグランジュ点はスペースコロニーを建設する軌道の候補でもある。ジェラルド・オニールはコロニーを地球と月のラグランジュ点に作ることでコロニーの軌道を安定させるというアイデアを述べている。

1783年9月7日、オイラーは弟子を相手に、発見されたばかりの天王星の軌道計算の話をしていたが、突然、息を引き取ったという。呼吸するように計算したオイラーが計算を止めたのは、彼が生きるのを止めたときであった。
この時代の世界
参考書籍
(この項おわり)
短い等式でありながら、その中に負の整数、円周率、ネイピア数、虚数がタペストリーのように織り混ざっていることから、すべての数学の中で最も美しい公式と呼ばれる。