出雲大社は出雲一族を祀っている

2006年7月21日 撮影
出雲大社
出雲大社
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出雲大社 (いずもたいしゃ) (正式名称は「いずもおおやしろ」)(島根県出雲市大社町杵築東195)を一度見てみたかった。戦争があったのか話し合いで済んだのかはわからないが、国譲りというプロセスにより天皇家に領地を譲った出雲一族を祀っている場所を体感したかったからだ。
この日は時間が遅いせいもあるのか観光客が少なく、明治神宮伊勢神宮に比べ、とても清清とした美しさを感じた。
出雲大社の大鳥居
大鳥居
出雲大社の参道入口から出雲大社駅を挟んで南へ600メートルほど下ると、堀川の手前に日本一の大鳥居がある。高さ23メートルの鉄筋コンクリート製で、柱の直径は9メートルもある白い鳥居である。
中央の額面は畳6畳敷きの面積があり、元大宮司千家尊福(元司法大臣)の手による「出雲大社」の文字が躍っている。
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出雲大社の鳥居
鳥居
参道入口にある鳥居は木製である。「平成の大遷宮」が行われる旨の木札があった。
現在の本殿は1953年(昭和28年)に遷宮されたのだが、痛みが激しくなってきており、 2008年(平成20年)に仮殿遷座祭を行い、およそ5年の月日と80億円の費用をかけて本殿の修理を行うとのこと。その間、本殿には覆いがかけられるとのことなので、これが現在の本殿の見納めとなるだろう。
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参道 - 出雲大社
参道
鳥居から拝殿までは、有名な「松の参道」が続く。直線で470メートルほど。
伊勢神宮では、一の鳥居から神楽殿まで道なりで240メートルほど、内宮まで行けば同じ程度の距離になる。が、なにしろ直線なので、気分がいい。

2016年(平成28年)3月、奇跡の一本松の命を継ぐ苗木が、松の参道の近くに植樹されることになった。
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拝殿 - 出雲大社
拝殿
拝殿を見て、まず驚くのが、注連縄 (しめなわ) の大きさである。長さ8メートル、重量は1.5トンにも及ぶ。また、一般の神社とは逆に、左から綯い始められているのも特徴だ。
今回は見なかったが、拝殿の西にある神楽殿の大注連縄はさらに大きく、長さ13メートル、太さ8メートルで、重量は5トンで、もちろん日本一である。拝殿の注連縄は、それに次ぐ、日本で2番目の大きさがあるそうだ。
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出雲大社の注連縄

大注連縄 - 出雲大社
大注連縄
この注連縄に向かって賽銭を投げ、うまく挟まると願いが成就するという俗信がある。そこで、小銭を投げてみたのだが、せっかく挟まっていた他人の賽銭が落ちてきてしまった。これって、自分に災難が降りかかるということか?

出雲大社でのお参りの仕方は二拝四拍手という独特の方式で行え、と拝殿にも書いてある。一般の神社は二拝二拍手である。
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本殿

本殿 - 出雲大社
本殿
本殿は国宝に指定されている。正式な手続をしなければ、お参りすることはできない。
出雲大社の建築様式は大社造り (おやしろづくり) と呼ばれ、伊勢神宮の神明造りや、春日神社の春日造りに比べて非常にシンプルである。屋根が合掌した部分の千木の交差が特徴的だ。
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現在の本殿の高さは24メートル――これでも十分巨大なのだが、古代には48メートルあったという伝承が残っている。これほどの高層建築を可能にしたのは、三内丸山遺跡吉野ヶ里歴史公園に見られる大木を使った物見櫓 (ものみやぐら) の技術を応用したものだと考えられている。
拝殿 - 出雲大社
拝殿
2000年(平成12年)の発掘調査で、境内から1本の直径が約1.4メートルの木を3本束ねた巨大な柱が出土した。それを復元したものが拝殿の裏に置かれていた(左写真)。
古代の柱では、と注目を集めたが、実際には中世の遺構で、現在とほぼ同じ広さの本殿を支えていたと考えられている。それでも、本殿の高さは48メートルもあったと言われている。
八脚門 - 出雲大社
八脚門
10世紀の貴族、源為憲の「口遊 (くちずさみ) 」には、「雲太 (うんた) 和二 (わに) 京三 (きょうさん) 」と記されている。これは、出雲大社(48メートル)が一番大きく、それに次ぐのが東大寺大仏殿(45メートル、現在は52メートル)、3番目が京都御所で天皇が住んでいる大極殿であったことから、そのように歌われていたのだという。
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拝殿 - 出雲大社
拝殿
大鳥居といい、大注連縄といい、そして本殿といい、出雲大社は日本一が多い神社である。なぜ日本一が多いのかというと、それが国譲りと関係がありそうだという話に繋がっているようなのだ。
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大国主命

大国主命 - 出雲大社
大国主命
出雲大社の主神である大国主命 (おおくにぬしのみこと) は記紀神話に登場する神様だが、七福神の大黒 (だいこく) 様の呼び名でも親しまれている。

参道の脇には、「因幡の白兎」の神話を模した銅像が建っている。
大黒様の袋を担いだ姿なので、パパぱふぅ的には笑ってしまったのだが。また、銅像の横に島根県出身の田村虎蔵が作曲した「大黒様」の歌の碑がある。これは1905年(明治38年)の尋常小学唱歌なのだが、これを歌えるままぱふぅって、一体‥‥。
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大国主命 - 出雲大社
大国主命
というわけで、かつて国を譲り黄泉の国へ旅立った(追放された)出雲一族の長である大国主命が、福の神・大黒様として親しまれているのは、いかにも日本らしい話であると、あらためて感じた旅であった。

平成の大遷宮

平成の大遷宮に合わせ、前回の遷宮以来59年ぶりに本殿が公開された。
本宮の天井は高さ5メートル、約11メートル四方の広さがあり、「八雲の図」と呼ばれる極彩色の絵が描かれている。江戸時代初期には、天下泰平や国土安穏を祈り、この雲に対して「心入れ」と呼ばれる秘密の儀式が営まれたと伝わる。
これらの雲は天上の神の世界との境界を示す存在で、天井に描かれた雲は天上界とのつながりを表すという説もあるという。雲は7つなのに、なぜ「八雲」と呼ばれるのか、鮮やかな配色の理由などは不明だ。

2009年(平成21年)10月、本殿大屋根の解体作業が本格的に始まった。60年前に葺かれた檜皮約64万枚は、当初約90センチあった厚さが約70センチに収縮していたという。

2013年(平成25年)4月、国宝の本殿を含む主要な建物の改修が完了した。5月10日の本殿遷座祭を前に、工事用の足場や覆いが全て撤去され、生まれ変わった出雲大社の全貌が現れた。

古代出雲

出雲大社の南方にある神西湖 (じんざいこ) があるが、縄文時代には、宍道湖とともに日本海に繋がっていた。出雲は、海産物に恵まれ、また、日本海を通じて全国各地、さらには朝鮮半島と交易をすることで大いに繁栄した。

国譲り神話では、天照大御神は目に見える世界を支配し、大国主命は目に見えない世界――死後の世界――を支配することになった。
神無月になると神々が出雲に集うのは、こうした経緯があるからだ。また、出雲大社の近くには、死後の世界への入口になる黄泉比良坂 (よもつひらさか) や、猪目洞窟 (いのめどうくつ) がある。

西谷墳墓群史跡公園にある特徴的な四隅突出型古墳は、出雲を治めた王の墓と考えられており、後に大和朝廷の墳墓として造られる前方後円墳と異なる形状をしている。この頃、国譲りがあったのだろう。

交通アクセス

【鉄道】
【バス】
  • JR出雲市駅から路線バスで約25分。
【自動車】
  • 山陰道・宍道ICから約40分。
【飛行機】
  • 出雲空港から出雲市駅までバスで約25分。
出雲大社 関連

近隣の情報

(この項おわり)
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