五稜郭タワーから五稜郭を眺める

2013年8月14日 撮影
五稜郭
五稜郭 (ごりょうかく) は、1854 年(嘉永 7 年)3 月の日米和親条約締結による箱館開港に伴い、防衛力の強化と役所の移転問題を解決するため、徳川家定の命により築造され、1866 年(慶応 2 年)に完成した。
五稜郭の大きな写真大きな写真
(1920×1280 ピクセル, 708 Kbyte)
箱館奉行所- 五稜郭
箱館奉行が設置された当初、奉行所は函館山の麓にあった。しかし、海から攻撃を受けるとひとたまりもなく、また函館山から一望できてしまうため、五稜郭の敷地内に移転・新築することになった。

現在の建物は、2010 年(平成 22 年)7 月に復元されたものである。一般公開されている。
箱館奉行所- 五稜郭の大きな写真大きな写真
(1920×1080 ピクセル, 872 Kbyte)
五稜郭タワー - 五稜郭
五稜郭を見下ろす位置に五稜郭タワー(北海道函館市五稜郭町43-9)が建っている。
1964 年(昭和 39 年)に建設され(高さ 60m)、2006 年(平成 18 年)4 月 1 日に隣に新タワー(高さ 107m)がオープンした。
五稜郭タワー - 五稜郭
新タワーは五稜郭の形に似せて、断面形状を塔体は星形、展望台は五角形となっている。
新タワーの竣工に伴って旧タワーは閉鎖・解体され、跡地にガラス張りのアトリウムが建設された。

新タワーの 1階は売店、2階はレストランになっている。
入場料を払ってエレベーターに乗り展望台へ向かう。約 30秒で展望台に到着する。
展望台も 2階建てで、500 人を収容できる。

新タワーは、地震・強風によるタワーの揺れを低減する制震装置「スーパースロッシングダンパー」(SSD)をタワー最上部に設置しており、水の動きを建物の振動に共振させることで地震や強風による建物の揺れを低減させる。震度 7 の地震でも、最大瞬間風速50m/sec の強風に対しても安全なように設計されている。
五稜郭
新タワーの展望室には、建造当時の五稜郭の 250 分の 1 の模型がある。
五稜郭の大きな写真大きな写真
(1920×1080 ピクセル, 540 Kbyte)
土方歳三 - 五稜郭
土方歳三のブロンズ像はほぼ等身大で、旧タワーに設置されていたもの。ここで記念撮影する観光客が多い。

土方歳三は、新選組時代には鬼の副長と称され隊士たちから恐れられ、戊辰戦争では蝦夷共和国の軍事責任者となり、1868 年(明治元年)10 月に箱館戦争の火ぶたが切って落とされ、五稜郭を占拠した。旧幕府軍は 12 月に箱館政権を樹立し、榎本武揚が総裁となった。
明治政府は反撃に転じ、1869 年(明治 2 年)5 月に箱館総攻撃を行った。五稜郭攻防戦の中、5 月 11 日、土方歳三は戦死しり。享年 35 歳。
5 月 16 日、榎本武揚らは投降し、箱館戦争および戊辰戦争が終結する。
五稜郭
新タワーの展望室には、グラフィック展示「五稜郭物語」として、ペリー来航から始る五稜郭の歴史を、年表や絵図面でわかりやすく紹介している。
五稜郭
新タワーの展望室には、メモリアルポールとして 16 個のジオラマが展示されており、五稜郭の歴史と人々のドラマを目の当たりにすることができる。
ガラスの映り込みのために見にくいが、ジオラマは精巧に作り込まれている。
皇太子殿下行啓記念碑 - 五稜郭
五稜郭タワーの手前に、皇太子殿下行啓記念碑が建っている。この石碑に刻まれている皇太子というのは、後の大正天皇である。1911 年(明治 44 年)8 月 20 日から 23 日まで函館を訪れている。
函館商業学校五稜ヶ丘記念碑 - 五稜郭
函館商業学校(現・北海道函館商業高等学校)の校舎は、1922 年(大正 11 年)7 月、元町から五稜ヶ丘に移転した。1970 年(昭和 45 年)3 月に昭和町に移るまでの約半世紀の間に、この地を巣立った卒業生は約 2 万人に及ぶ。
士魂商才をを校是に、激動の時代にも質実剛健に生き抜いた五稜郭健児たち栄光の年輪を深く刻むものとして、当時の校門を移設し、90 周年記念として、校章マーキュリーとともに永遠に残すこととなった。

交通アクセス

行き方ナビ
出発地の最寄駅:

目的地:五稜郭タワー
五稜郭 関連

近隣の情報

この付近でネットができる宿

(この項おわり)
header