琵琶湖疎水と南禅寺

2022年1月14日 撮影
水路閣 - 南禅寺
水路閣
琵琶湖疎水 (びわこそすい) は、琵琶湖の水を京都市へ流すことを目的として明治時代に造られた水路(疎水)である。国の史跡、土木学会選奨土木遺産に指定されている。

写真の水路閣南禅寺の境内にある全長90メートルのレンガ造りのアーチ橋で、テレビドラマの撮影などに利用されて有名になった。

京都にとって琵琶湖の水を引くことは昔からの夢だった。幕末に荒廃した
1881年(明治14年)、第3代京都府知事に就任した北垣国道 (きたがき くにみち) 琵琶湖疎水を計画し、1885年(明治18年)に着工した。
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水路閣 - 南禅寺
水路閣
大津市三保ヶ崎から鴨川合流点までの第1疎水(総延長約20km)と、蹴上 (けあげ) から分岐して小川頭にいたる疏水分線(総延長約3.3km)は1890年(明治23年)に完成した。同年4月9日、明治天皇・皇后両陛下の臨幸を仰ぎ、竣工式を挙行した。
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水路閣 - 南禅寺
水路閣
1891年(明治24年)には、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所が運転を開始し、この電力を使って1895年(明治28年)に日本初の電気鉄道となる京都電気鉄道が運行を開始する。
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水路閣 - 南禅寺
水路閣
近代上水道の水源と電力需要に対応するため、1908年(明治41年)に第1疏水の北側を全線トンネルで並行する第2疎水(総延長約20km)が着工し、1912年(明治45年)に完成した。取水量は、第1・第2合わせて毎秒23.65立方メートルになった。

琵琶湖疎水の設計には、工部大学校(現在の東京大学工学部の前身のひとつ)を卒業したばかりの田邉朔郎 (たなべ さくろう) (当時21歳)を主任技術者に指名し、欧米の測量術を学んで実績を積んでいた島田道生 (しまだ どうせい) (当時33歳)が精密な測量図を作成し、田邉をサポートした。当時の京都府の年間予算の2倍という大事業だった。
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蹴上発電所への送水管 - 琵琶湖疎水
蹴上発電所への送水管
蹴上発電所への送水管。
1912年(明治45年)、第2疏水の完成に伴い第一期蹴上発電所が取り壊され、第二期蹴上発電所が開業した。1936年(昭和11年)には、第一期発電所の跡地に第三期発電所が建設された。
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琵琶湖疎水
琵琶湖疎水
2016年(平成28年)、米国電気電子学会 (IEEE) より IEEEマイルストーンに認定された。現在も第三期発電所が稼動している。
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冷泉放水口 - 琵琶湖疎水
冷泉放水口
第1疎水は、三条橋の近くにある冷泉放水口から鴨川に注ぐ。
琵琶湖疎水
琵琶湖疎水
疏水分線は北上し、哲学の道へと続く。

京都の上水道は、1912年(明治45年)4月に蹴上浄水場より給水を開始した。日本で初めて急速濾過方式を採用したものだった。
給水開始当時の京都市人口は約50万人で、このうち給水人口は約4万人。1日の最大給水量は約3万立方メートルだった。今日では1日最大給水量は約56万立方メートルとなっている。
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琵琶湖疎水記念館
琵琶湖疎水記念館
琵琶湖疎水記念館(京都府京都市左京区南禅寺草川町17)は、琵琶湖疏水竣工100周年記念事業の一環として、蹴上の近くにある京都市動物園の一画に、1989年(平成元年)8月9日に開館した。2007年(平成19年)に所蔵資料が、琵琶湖疎水とともに近代化産業遺産に認定された。2009年(平成21年)にリニューアル。
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ペルトン水車 - 琵琶湖疎水
ペルトン水車
琵琶湖疎水記念館の屋外には、蹴上発電所の発電用水車として活躍していたペルトン水車が展示されている。1897年(明治30年)には20台のペルトン水車が稼動しており、1912年(明治45年)まで使われていた。
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インクライン - 琵琶湖疎水
インクライン
疏水を利用した水運は、琵琶湖と京都、京都と伏見、宇治川を結んだ。しかし、落差の大きい伏見や蹴上では船が運行できないため、台車に船を載せて上下させるインクラインで運行していた。
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インクライン - 琵琶湖疎水
インクライン
蹴上インクラインは、蹴上船溜りから琵琶湖疏水記念館前にある南禅寺船溜りを結ぶ延長640メートル、敷地幅22メートル、勾配15分の1の路線で、運転用の巻き上げ機は蹴上発電所の電力で運転した。通過時間は10分から15分を要した。

1891年(明治24年)、蹴上発電所の開業と同時に運行を開始した。昭和期に入ると鉄道などの交通機関が発達し、舟運の利用は減少し、1948年(昭和23年)11月26日に運行を休止した。1960年(昭和35年)3月には電気設備も撤去され、完全に稼動を休止した。
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インクライン - 琵琶湖疎水
インクライン
1973年(昭和48年)以降、送水管を敷設するためにレールも撤去されたが、産業遺産と保存するために復元された。また、復元された台車が2台だけ置かれた。
1996年(平成8年)、国の史跡に指定された。
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法堂 - 南禅寺
南禅寺 法堂
南禅寺(京都府京都市左京区南禅寺福地町86)は、臨済宗南禅寺派の大本山の寺院。山号は瑞龍山。正式名称は太平興国南禅禅寺 (たいへいこうこくなんぜんぜんじ) 。本尊は釈迦如来。日本初の勅願禅寺であり、全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ。
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法堂 - 南禅寺
南禅寺 法堂
1291年(正応4年)、出家して法王となっていた亀山上皇は、自らが造営した離宮を寺に改め、無関普門が住み着いていた妖怪変化はを退散させ、開山したという。法堂は1909年(明治42年)に再建されたもの。
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三門 - 南禅寺
南禅寺 三門
三門は、歌舞伎で石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という台詞をまわす舞台となった場所である。1628年(寛永5年)に寄進されたもので、国の重要文化財に指定されている。
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琵琶湖疎水記念館への交通アクセス

【鉄道】
  • 地下鉄東西線「蹴上」下車、徒歩約10分
【バス】
  • 市バス5系統「岡崎法勝寺町」下車、徒歩約4分
  • 市バス京都岡崎ループ「南禅寺・疏水記念館・動物園東門前」下車すぐ
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出発地の最寄駅:

目的地:琵琶湖疎水記念館
琵琶湖疎水 関連

参考サイト

近隣の情報

(この項おわり)
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